みなさま、おはようございます。
雨上がりに緑が映えます。丁寧にお手入れされたミニバラのつぼみが、だんだんふくらんでくるのを眺めるのが、通勤途中のたのしみです。
さて、ゆうべ、久しぶりにレイトショーに行ってきました。『運び屋』というクリント・イーストウッドの監督&主演映画の上映が、木曜日で終わっちゃうことを知って、めっちゃ観る気だったわけではないけど、なんとなく徐々に気になってた映画なので、思い切って行こうかな、と。しかし、そう思い立ったのは、すでに当日夕方(笑)。いつもこうなの。予定で動けない。「おっと、時間ができたぞ、どうする?!」ってかんじで急遽のことが多い、わたしの日々。
校外学習で雨の中、バーベキューに出かけて、超ゴキゲンで帰宅した娘から、おみやげ話をいろいろ聞きながら、リクエストにおこたえして焼きそばを作って頬張る母娘。
わたし「映画、観たいやつあるねんけど、レイトショー行ってこようかな。でも途中で寝たらいややなぁ。冒険せずに、おとなしく早寝するのもひとつやけど、なんかさぁ、ちょっと気になるワケよ。〇〇、どう思う?」
むすめ「行っといで~や。寝たら寝た時やん。あとでやっぱり観とけばよかったって思うよりいいんちゃう?〇〇に訊いてる時点で、行く気満々なんちゃうん?」
わたし「(笑)そうとも言えるな、確かに。でも、なんか、よっしゃ~~!!っていうインパクトに欠ける」
むすめ「ほんなら、〇〇がお茶碗洗っとくから、行っといで。な?」
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このような、ほのぼのしたやりとりの後、最終的には行って参りました~。そして、観てよかった。
90歳のじぃじぃが、ひょんなことから麻薬の運び屋として車を走らせる。なぜ、その仕事に手を染めることになったか、また、その「運び屋」を続けるなかで、どんな出会いや別れや、絆が生まれるかー。
みなさん、映画の予告編って、「アテ」にされます?わたし、結構最近あの予告編で、次に観る映画を決めるかんじ。で、この『運び屋』は、予告編を観た段階では、「あ、これ、たぶん観ないな」って思ってたんです。年老いたオトコが、犯罪に手を染め「させられる」、悲劇のイメージを強く持ったから。年老いるということが、哀しさを帯びて描かれるイメージを持ったから。
ところがどっこい、違いましたのよ。クリント・イーストウッド演じる「運び屋」のじいちゃん、めっちゃ人生を謳歌してた。もちろん、めっちゃアブない橋を、何度も何度も渡る。失敗もする。家族には「あなたの顔も見たくない」と拒絶される(のちに変化あり)。もちろん捕まる。だけど、その間、間に、彼は人生を謳歌する。そして、世間がつくった「ボーダー」を、いとも簡単に、いともナチュラルに、ポンポンと飛び越える。「タダ長生きしてないぜ」っていうかんじ。90歳なのに、若いピチピチのラテン女子2人と夜を楽しんでしまったりもする♡♡ なに、これ? めっちゃ楽しんでるじゃないの。「年老いる=哀しい」じゃないやん。この小気味よい裏切りが、実にたのしかった。
それと、あと2点ほど。
①家族って、やっぱりちゃんと出会うべくして出会うんだ。男と女も出逢うべくして出逢うんだ。たとえ別れ(死別も、離別もふくめ)があっても、出会う(出逢う)ことには意味があるんだ、って思った。「こんな人、わたしのお父さんだなんて思いたくもない」「あなたと重ねた年月を、なかったことにしてしまいたい」。そんな思いに駆られても、でも、やっぱり、人の縁には、なにか理由があるんだなって、思いました。
②いろんな要素が盛り込まれた、すごく部厚い映画だったなぁ、ってエンドロールの音楽を聴きながら思った。そういえば、この映画の音楽、サイコーだったわ。エンドロールの最後まで、音楽を聴き切ってこそ、この映画は観終わるなぁっていう、そういうかんじ。
あ、おまけは、「アリー スター誕生」に出てた、ブラッドリー・クーパーが、めっちゃカッコよかった。イイ男だった。
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ってな具合で、とってもごきげんな気分で帰宅。
そして、リビングで目撃したものは・・・・
お茶碗そのままで、大の字で爆睡する娘。
やられた(笑)。
「おーい、はなし違うやん!!」って声掛けしたら、慌てふためいて跳び起きて、お茶碗洗ってました(笑)。「台所片づけるとこから始めたら、お弁当楽しく作られへんわ」って、いっつも言ってあるからね。「お弁当にありつけなかったらヤバい」と、動物的に、瞬発力が発揮された模様(笑)。
というわけで、今朝もおそろいのお弁当3つ。カレー風味の豚肉とジャガイモの甘辛炒めは、娘のたっての希望でして、ばあちゃんにはカレー風味連チャンで恐縮です(笑)。
今日も、たのしく、暮らしてまいります。(お弁当、なんかピンボケだねぇ)