みなさま、こんにちは。
日曜日の昼間、洗濯と掃除に追われる nonchi でございます(笑)。
韓国から金曜の夜に戻り、昨日はいきなり仕事で1日出張。今日は今日とて、締め切りをちょっと過ぎちゃった原稿をあれこれいじくりながら、洗濯機を回しながら、部屋を片付けながら、ばたばたと過ごしております。
が、もちろん、心は満たされております。
大好きな場所を歩き、いろんなことを学んで、魅力的な人たちに囲まれて、おいしいものを一緒に食べて、身振り手振りメイン(笑)の会話もして、自由な時間も少しは持てて。旅の前半部分は、ほかの参加者のみなさんと協同して、報告書的なものをつくることになっています。現地でガイドしてくれた人たちのお話を録音したものを、文字に起こして整理する部分を担当することになったので、それをとおして、あらためて、この旅の意義をかみしめたいと思っています。
それ以外にも、たのしかったことはいろいろ。
まず、ごはんは、もちろん、おいしかったですっっ。わたしは基本、韓国に行ったら、日本語がほとんど通じない、地元の人たちで混雑する食堂を選んで入ります。たいてい食堂のアジュモニ(おばちゃん)は、超絶不愛想(笑)。運んできたおかずとか、テーブルに置く時も、ガンガン音をたてて、めっちゃ面倒くさそうにしはる。でも、たとえばお肉を焼く時とかも、焼き加減や、火の調節、食べ方とか、笑顔はないけど、「こうして、こうして、こうするの、わかったか??」って手厚くかまってくれる。途中で「辛くないのか?」とか、聞いてくれたり、「サービス」と言って、果物を出してくれるアジュモニもいます。
ホテルの1Fのコンビニのアジョシ(おっちゃん)は、「こんばんは」とか「たのしかったですか」とか、日本語で話しかけてくれて、それでも必死でわたしが韓国語を使うと、「上手だねぇ。がんばって勉強してるね」と言って労ってくれる。なにしろ、人間がやさしい。きらびやかなやさしさではないけど、ほんとに、やさしいなぁって思う。
あと、わたしは、地下鉄が大好き。
日本の地下鉄とよく似ていて、路線図は番号と色でわかりやすく表示されているし、車内放送も、日本語でも流してくれるし駅名も漢字のところが多いし、ちょっとハングルが読めたら、ぜんぜん乗れる。で、乗り換えのときに、地下道を歩くんだけど、その地下道に、ちょっとした服屋さんとか、パン屋さんとか、コーヒーショップとか、屋台チックな食堂みたいなスポットとか、いろいろあるんです。これがまた、最高に楽しい。そういうところに、自分も紛れ込んで、一緒に食べるのが大好きです。で、おいしいの、とっても。で、電車のなかでも、どこでも、もちろん、聴こえてくるのは、全部韓国語。このシャワーがまた、幸せなのです。早口でぜんぜんわかりませんよ。でも、そのシャワーのなかに自分が存在しているのが、なんとも幸せなのです。「このまま、ここに残りたい」って思っちゃう、いっつも。
そして、帰ってくると思うのです。
「もっと、韓国語、がんばろう」って。・・・が、しか~~~し!!! 進歩がない。おそらく努力が足りない。でも、あたしゃ、諦めません。時間をみつけたら、1泊2日の弾丸ツアーでもなんでも、来年娘があらたなスタートを切ったら、わたしももう少し自由になりますんで、気軽に出かけてやろうと目論んでおります。それぐらいの贅沢、それぐらいの自分への投資、「あり」だと思うことにしています。国内で、たいした旅行に行くわけでなく、洋服にお金かけるでもなく、地味に暮らしているので、そこだけは、惜しまずに、と思ってる。もう「次、いつ行けるかなぁ」なんて思っています。
な~んてことを、つらつら書きながら、しかし今日のわたしのミッションは、掃除と洗濯!! ベランダに出て、山盛りの洗濯物を干したいと思います。
あ、それでそれで、この夏、わたしを楽しませてくれた、プチトマトちゃんなんですが、実が成るのは諦めよう、と、ちょっと前に書いたのですが、今日、ベランダに出てみると、韓国に行く前は緑色だった1粒だけ成った実が、赤く色づいていたのですっっ。でも、あきらか、「これ以上おいといたら、腐ってしまう」かんじがしましたので、思い切って、枝からもぎとりました。
で、ダメもとで、ちょっと食べてみた。そしたら、ちゃんとちゃんとトマトの味がしました。なんか、とてもうれしかった。せっかく育てて、ぜんぜん実を成らせてあげられなかったから、申し訳ない気持ちでいたのだけど、たった1粒でも、こうして頂くことができて、がんばって伸びてくれたことに、ささやかながら、お返しできたかな、って思います。来年は、もうちょっと早い時期に種をまいて育ててみようと思ってる。やっぱりね、自分でお世話して、育てたものをいただける喜びって、すごいですよ。プチトマト1粒で、そう思いますもん。
韓国でのことは、また少しずつ、書けるときに書いていこうかな、と思ってます。BTSのTシャツの件、「謝罪した」と、昨日の週末ニュースでも流れていました。数日後にBTSのライブに行く娘は、「ライブでも謝ったりするんかな。なんか、めっちゃ悲しいし、めっちゃ恥ずかしい。おかしいと思うねん、〇〇は」と言ってます。反日とか、嫌韓という感情の根っこには、やっぱり「知らない」ということが大きくあると思います。歴史の解釈はいろいろあるかもしれないけれど、少なくとも、歴史の事実はあるわけで、それを学ぶことは、現在(いま)を生きる私たちにとっては、至極当たり前のことだと思う。そして、とりわけ、これからを生きていく子どもたちには、その学びの機会は保障されてほしいと、ひとりの母親として思う。本当に、なんのわだかまりもなく、一番近いお隣の国の人たちと、一緒に生きていける日本社会であってほしい、そして、それを創るのは、やっぱり、ひとりひとりの課題であると、あらためて感じているわたしです。