のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

別れは、出会いなおすこと。

おはようございます。

ここ数日、ずっとどんよりした天気が続いています。でも、ふと思いました。わたし、天気が悪いと大抵ひどい偏頭痛に悩まされます。マックスまでいっちゃうと、起き上がれないぐらいのときもある。それなのに、この数日、ぜんぜん頭、痛くないです。自分が「頭痛もち」だってことさえ忘れていました。ふ~ん、そっか。忘れていたのか、ほんとに痛くならなかったのか。どっちにしても、「そうなってるんだな」って、妙に納得しながら、今朝の珈琲を飲んでいます。

 

「わたしといくら仲良かったからって、いつまでも泣くとか、そういうの、やめといてな? のんちは、いっぱい、人とつながって生きていくって決まってるから、絶対そうしてもらわな困る」

 

友人は、去年の秋ごろ、そう言ってました。ふ~~ん、そっか。やっぱり、あんたの言うことは当たっているかもな。ここ数日、ずっと、そんなふうに思いながら、このブログにいただくコメントや、もう少し近くでいただくメッセージを、ひとつひとつ眺めています。

 

友人とは、いわゆる「見た目」では、ひとつの別れをしたのかもしれないのだけど、だけど、これは、もしかして、新たに出会いなおしたのではないかな、と思えてきたりするのです。直接友人がわたしに言ってくれたこと、してくれたことは、ちゃんとわたしの手元に残ってる。だけど、ここから先は、きっとわたしが、あらたに友人に出会いなおすんじゃないのかな、と思ったりしています。

 

友人は、かたちとしては、友人「そのもの」ではなくって、これからわたしが出会っていくひとたちのなかに、音楽のなかに、映画のなかに、景色のなかに、本のなかに、そして、毎日食べる「ごはん」のなかに。

 

そういうことなんじゃないのかな。

 

そう思えば、失くしたものは、友人の「かたち」だけ。

 

そうなのかもしれないな。

 

そう思いたいな。

 

そう思うことにしようかな。

 

・・・・・そんなかんじです。

 

****************

今日、まえにも書いた、わたしのピアノ、両親が、私が生まれたときに買ってくれたピアノが、再び弾けるようになるかどうか、調律師さんが来てくれることになっています。

 

「もう処分するしかないかな」と思っていたとき、思いがけず、ある人が「それはもったいない。そのピアノ自体が『音楽』だから、絶対にもったいない」と止めてくれました。

 

音のなかにある、わたしの想い出を、手離してはいけないってことなんだな。それって、かけがえのないものなんだな。そう気づかせてもらいました。

 

きっと、なんとかなりそうな気がしています。若いときには感じなかった音の深みや厚みや、響きを、感じられそうな気がしています。

 

それから、「アラフォーの下宿人さんが仲間入りするかも」とちょっと前に書きましたが、そのひと、春からほんとに我が家にやってくることになりました。これだって、ほんとに、偶然に偶然が重なって、不思議なほどトントン拍子で話が進みました。

 

何なんだろうなぁ。このタイミングは。わたしがぼ~~~っとするヒマがないように、事前に計画されていたような、お膳立てされていたような、このかんじ。

 

しかも、その下宿人さん、こないだ、うちに来てくれて、挨拶と今後の相談をしたのだけれど、とってもとっても気持ちのいいひと、わたしにないものをたくさんもっていて、わたしが大切に思うことに共感もしてくれて、なんとも「いいかんじ」なのです。

 

春からは、新しい風が、我が家に吹き始める予感です。

 

そして、その前に、いろんなあたたかい慈しみをいただいたわたしは、もともとの性分も手伝って、いろんなひとのことが気がかりで、心配で、お世話をやきたい気持ちがモクモクとわいてきています。それに、聴きたい音楽や、読みたいマンガ(この話は、また別のときに)、観たい映画、そして、ずっと進歩のない韓国語の勉強・・・、じっとしてる暇も、めそめそしている暇もないように、仕組まれている(笑)ようなのです。

 

だからね、みなさん。

 

わたし、忙しくなりそうです。

 

それは、とてもいいこと。それは、とてもありがたいこと。

 

それは、きっと、

 

そうなっていた、こと。

 

だと思うんだ。

 

そうだよね?

 

ありがとう、みなさん。

 

そんなわけだから、

 

 

 

 

大丈夫だよ!!