のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

100万のキャンドルも、1つのキャンドルも。

みなさま、こんばんは。

韓国から帰ってきて、2日たつのですが、まだなんだか心がフワフワしています。

昨年の冬、100万人以上の市民がキャンドルを手に集まった光化門前広場を歩きながら、普通のひとびとのちからで、社会を動かすことができるという事実に触れ、胸がいっぱいになりました。同じ場所に、30年前の1987年も、多くの市民が参加して、警察の拷問によって殺された大学生を悼む大集会が開かれ、そこから韓国社会の民主化が大きく動き出したことと重ねて、ずっと、ずっと、諦めずに行動し続けたひとたちのちからに圧倒されました。

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その100万人の市民を動かしたものはなんだったのか———。

 

わたしは、「自分以外の他者の痛みにたいする想像力」だったんじゃないかと思います。ただまっすぐに、よりよい社会を目指しただけの大学生が、惨い水拷問によって命を奪われたこと、あるいは、修学旅行生を含む乗客を乗せた船が、まともな救援を受けることなく目の前で沈み、300人以上の犠牲者を出したこと(2014年4月16日に起きたセウォル号事件)に対して、自分の家族や大切なひとと重ねて、悼み、憤ることができる想像力が、ひとびとを動かしたのではないかと思います。こんな理不尽なことが、まかりとおる世の中であってはいけない、と。

 

その想像力を、わたし自身、ちゃんと自分のなかで育てていきたいと思う。もちろん、自分の娘にも、そうあってほしいな、と思う。

 

今日は、18日です。

韓国での数日間を思い出しながら、そして、大切なひとのことを思い出しながら、キャンドルを灯しました。

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100万のキャンドルも、1つのキャンドルも、どちらも、わたしの心をとらえて離さない。キャンドルの灯を眺めながら、熱いものがこみ上げてくる、夜です。