のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

We shall overcome (3月8日に寄せて)。

みなさま、おはようございます。

今日は3月9日なのですが、昨日の3月8日「国際女性デー」について、少し書きたいと思います。(あ、国際女性デーが、どんな日か、ということについて、ではありません。スミマセン)

 

そもそも「国際〇〇デー」というのが、どうなんだろうなぁ~というのは、思わなくもない。その日だけ、のことではないのだから。だけども、人間は、わたしも含めて忘れてしまう生き物だから、「今日はこんな日なんだよ。忘れちゃいけないんだよ」っていうのも、「あり」なのかもな、と思う。

 

わたしが「国際女性デー」について知ったのは、もう40年ぐらい前だろうな。母親(頑固一徹おかん、ね)が、とってもラディカルな女子だったので、私は小学校低学年の頃にはすでに、「女性の人権」について、おんなたちが集まって、アツく語って、行動する場所に「連れ回されて」いました。でも、わたしは、一方的に「連れ回されて」いるという感覚ではなくて、どこかで、自分も「参画している」ような気持ちがあったように記憶しているんです。そして、わたしを「ひとりの人格」として、「おなじおんな」として認めてくれた「おとなのおんな」がいたことを、たしかに記憶しています。

 

当時、母親たちが、会議や勉強会をしているあいだ、その子どもたちは、たいていは別室で、子どもたちだけで、お互いを「保育し合って」いました。わたしは、子どもたちのなかで年長のほうだったので、「保母さん」役が多かった。でも、どっちかというと、母親たちが喋っている場所にいたかった。だから、ちょっと年下の子に「保母さん」を任せて、自分だけ、そっちに行かせてもらったり、もうちょっと行動力が出てくると、子どもたちに「静かにしぃや?」と指導(笑)して、母親たちと同じ部屋の隅っこを「保育スペース」にして、自分は、耳の半分だけ、母親たちのほうに向ける、みたいなことをしていました。

 

そのとき、ひとりの「おとななおんな」が、わたしに会議の資料を「一人前」に配ってくれました。もちろん読めない漢字とか、ありありなんですよ、それでも、彼女はわたしに資料を手渡してくれました。すごくうれしかった。その出来事があってから、「わたしにもちょうだい」って、自分から資料をもらうようになったけど、わたしを「あたりまえ」のように「一人前」の扱いをしてくれた、「おとななおんな」のことを、わたしは今でも忘れない。そのひとは、いまは関東のほうにお住まいなので、もう10年以上お会いしてないし、随分疎遠になってしまってもいる。だけど、3月8日になると、彼女のこと、彼女にしてもらったことを思い出します。

 

***************

こないだから、映画をきっかけに、いろんな音楽を、あらためて聴き直しています。いくつか前の文章で書いたマーヴィン・ゲイはもちろん。今朝も車のなかで、結構な音量でかけてきました。晴れた空、ピリッと冷たい空気のなかで、すごく胸に沁みたね。

 

それと、1963年8月28日のワシントン大行進で歌われた歌。

『We shall overcome』を、あらためて何度も聴き返しています。

 

邦題が「勝利を我らに」だし、わたしも、長い間、「勝利する」ことを求めて歌っているんだと思っていました。でも、この「We shall overcome」は、「勝利する」のではなくて、「乗り越える(克服する)」ことを求めていく、めざしていく、という意味なんだと、ある文章を読んで知りました。その文章には、キング牧師が求めたものもまた、「戦い」に「勝利する」ことではなかったはずだと書かれていました。

 

そう思って、この曲を聴き直すとき、「サヨクのひとたちが歌う、放送禁止歌」ではない、もっと普遍的な、わたしにとっても、この文章を読んでくれているみなさんにとっても、この社会に生きる、すべてのひとにとっても、拠りどころになる歌に思えて、あらためて、こみあげてくるものがありました。

 

40年まえ、小学生女子のわたしのことを、「おなじおんな」として対等に、人格を認めてくれた、あの「おとなのおんな」。彼女が当時、希求していたことが、いま、どれだけ叶っているだろう。わたしの15歳になる娘が、社会に出て、だれかのパートナーになって、あるいは誰ともそんなふうにならなかったり、そして母になったり、ならなかったりするなかで、娘が「自分らしく」あることを、「女性であること」が理由で諦めなくていいように。「女性であること」が、娘を輝かせてくれるように・・・

 

「We shall overcome」。

 

元気に、活き活きと、わたしらしく、いろんなことを、乗り越えていきたいと思います。

 

youtu.be

 

「We shall overcome」 

私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない いつの日にか
おお、こころ深く
私は信じる
私たちは乗り越えなければならない いつの日にか

私たちは手を取り合わねばならない
私たちは手を取り合わねばならない
私たちは手を取り合わねばならない いつの日にか
(コーラス)

私たちは恐れない
私たちは恐れない
私たちは恐れない 今日の日
(コーラス)

私たちは独りではない
私たちは独りではない
私たちは独りではない 今日の日
(コーラス)

この広い世界を廻る
この広い世界を廻る
この広い世界を廻る いつの日にか
(コーラス)

私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない いつの日にか
おお、こころ深く
私は信じる
私たちは乗り越えなければならない いつの日にか

 

 

動画はyoutubeからお借りしました。

また、本文を書くにあたり、MAGICTRAIN というブログを参考にさせていただきました。「We shall overcome」の歌詞は、そこから引用させていただきました。すごくすてきなブログでした。ありがとうございました。

 

もう1回だけ『グリーンブック』に言及。

みなさま、こんばんは。

 

今日は、晴れ間がちょっと見えたかと思ったら、また雲がおひさまを隠してひんやりしたり、落ち着かない空でした。春の空はきまぐれなのかな。たとえば、この同じ空を見ても、感じることは人それぞれ、まして、それをことばにすると、そのことばはもっともっと、人それぞれ。その、ことばの魅力がいっぱいあふれているのが、このブログの世界だと思っています。 

 

このブログをいつも覗いてくれているsmokyさんが、『グリーンブック』を観に行かれたみたいで、今日のお昼、その記事をブログにアップされました。ちょうど、お昼ごはんを食べようと思っているところに飛び込んできたので、早速読ませてもらい、そして、わたしのブログのことに言及されていたので、うれしさが倍増、100倍増、してしまって、実は、ちょっと「調子に乗りすぎ」た文章を掲載してしまいました。書き終えてから、お昼を食べて、その後、午後の仕事をして、夕方あらためてブログを読み返してみて、興奮して書いてしまった表現が、やっぱり、ちょっと「違うな」と思いましたので、この記事に書き直しています。

 

beatle001.hatenablog.com

 

でも、お伝えしたいことの根幹が変わったわけではありません。わたしが伝えたかったことが、わたし以外のひとのことばによって、「そうそう、まさに、それが言いたかった」と言いたくなるように痛快に、爽快に語られていることが、とってもうれしかったのです。いっぱい、感嘆詞や、騒がしい表現をしてしまいましたが、突き詰めれば、そういうこと、です。それが、ブログのすてきなところだと、思っています。

 

・・・というわけで、1回目に観てとても気に入った場面、胸に迫った音楽、キュートでたまらなかった、あのセリフを求めて、再び「レイトショーのおんな」になろうと思います。

 

**********************

そう、今日は3月8日、国際女性デー。

「パン(低賃金、劣悪な労働条件の改善)とバラ(女性の尊厳、人権の回復)」を求めて、100年以上前の女性たちが起ち上がった日、です。

そんなことも考えながら、いまから、最後の追い込み中の受験生女子に、夜食のグラタンを作りたいと思いま~す。

 

 

 

 

 

生姜湯とおかきと、マーヴィン・ゲイ。

みなさま、こんばんは。

久しぶりに、雨と曇りが続きましたね。いまさっきも、またパラパラきてました。そんなに冷たい雨ではないけど、それでもちょっと、ひんやりしますね。

 

わたし、トレンチコートが好き、というおはなしを書きました。それで、「コートつながり」と、こないだ観た『グリーンブック』のあとから頭の中で流れていた音楽のことをつなげて、ちょっとだけ書こうと思います。

 

『グリーンブック』のことで、まだまだ書きたいこと、あるんです、実は(笑)。とくに、音楽について感じたことを、書きたくてしょ~がないの。これからご覧になる方は、ちょっとネタバレ気味になってしまうことをお許しくださいませ。

 

主人公のひとりである、黒人ピアニストのドクター・シャーリーは、普段はかっこよく正装して、圧倒的に白人の観客を相手に、スタインウェイなどの立派なグランドピアノを弾くのですが、映画の後半、クライマックスちかくで、黒人たちが集まる場所(食事もできて、アルコールも飲めて、そして何よりバンドの生演奏で踊れる!!)でアップライトピアノを弾くことになります。そのときの、彼のプレイの力強さと、ノリのよさと、感情の豊かさが、ほんとに、たまらなくカッコいいのです。思わず足でビートを刻みながら、上体が思いっきり揺れてしまいました。もうちょっとノッてしまったら、声を出してしまったかも(笑)。

 

でも、カッコいいと同時に、ものすごく、深い哀しさもそこにはこもっていたんです。ビリーホリデイの「奇妙な果実」という曲をご存知ですか? 南部で白人にリンチされて殺された黒人の遺体が、木にぶらさがって揺れているようすを、静かに、哀しみを込めて歌った曲です。昼間の肉体労働でクタクタになりながら、でも、一日の疲れを、なかまと呑んで、イカした音楽で踊ることで癒して、また翌日の労働に向かっていく、そういう黒人労働者の姿は、エネルギッシュで、体温がそのまま伝わってきそうで、アツいんだけど、でもその後ろに見えるのは、やっぱり、ことばにするのも苦しいほどの差別に対する、人間としての哀しみに思えました。白人の前でプレイすることが多かったドクター・シャーリーが、自らのルーツを確認しながら、自身を解放して、全身でピアノを弾く姿は、ほんとに美しかったです。

 

で、そのとき、いろんな黒人ミュージシャンのことを思い浮かべたのだけど、一番最初に浮かんだのが、マーヴィン・ゲイでした。なかでも、このアルバム、『what's going on』。ベトナム戦争に反対して「What's going on?」(この世の中は一体どうなってるんだ?)戦争はもうたくさん、今日、この瞬間にこそ、世界中の人々に互いに愛し合う気持ちを呼び覚ましてもらおう、戦争に反対するデモをを続けていこう!!っていう、この歌が、頭に浮かんできました。

 

f:id:nonchi1010:20190307235457j:plain

映画を観た日から、家でひとりになれる時間に、流しています。コーヒーを淹れたり、豆乳ベースのラテだったり、いろいろなお楽しみを添えて。

 

今日は、ちょっと身体が冷えている感じがするので、熱い生姜湯に、おかきを添えてしまいました(笑)。そうそう、「コートつながり」って書きましたが、このアルバムのジャケットが、そりゃぁもう、めっちゃカッコいいのです。「そうよ~、コートはこうやって着たいのよ!!」って言いたくなるかんじ。色合いもすべて、どストライク。何度見ても、ため息が出そうです。

 f:id:nonchi1010:20190307235522j:plain

それにしても、もしマーヴィン・ゲイに、「なぁ nonchi 、この世界は、いったいどうなってんだ? そして、あんたは、どうしたいと思ってんだ?」って訊かれたら、何て答えたらいいんだろう。笑ってごまかしたくはないと、それだけは、思ってる。立派な答えは持ち合わせないんだけど、トレンチコートにドキドキしながら、彼の問いかけも、ちゃんと心のどこかに、ちゃんと置いていたいと、生姜湯をすすりながら、考えている、0時前の、わたしです。

 

youtu.be

訳詞にもいろいろあるのですが、曲と一緒に流れてくるので、今回はこのバージョンを。ちなみに、アルバムのライナーノーツを書いている泉山真奈美さんという方の訳はもっと直接的な表現で、もっとこの曲の社会的な背景がよくわかるかんじではあります。

 

動画、youtubeからお借りしました。

 

 

 

いい季節、とも言える。

みなさま、こんにちは。

相変わらず、目は痒く、頭はぼ~~っとしておりますが、それでも、やっぱり、nonchi の好きな季節の到来を感じております。

 

というのも、わたし、シャツの上にコートをさらっと羽織るのが好きなんだ。しかも、そのコートはウールでなく、コットンが好きなのね~。

 

数日前、ブログのおともだちが「今日のわたしのコーディネイト」を写真つきで書いてくれたんやけど、それが、とってもかわいかった。その彼女以外にも、持ち物の趣味が似ている(と思われる)女子がおられる。ちょっと前に、「セーターと、シャツと、腕時計」だけを写した写真で短い記事を書いたけど、その続きで、ときどき「今日のわたしの恰好」について書いてみようかな、と思います♡(また、いつものように、写真のサイズを調整できる技術がないので、バカでかい写真、びっくりせんといてね💦💦)

 

f:id:nonchi1010:20190306155153j:plain

①わたしは、ギンガムチェックが大好き

若い時から、チェックとストライプが好き。とくにギンガムチェックが大好きです。なので、シャツも、こんなかんじのが多い。ちなみに、このギンガムチェックのシャツは、無印良品のお品です。冬のバーゲンの最後の最後の売れ残りで、なんと50%offから、さらに10%引きだったと思います。(って、そこ、訊いてないよね~、安いモンを自慢したい大阪魂、許して♡)

 

②わたしは、カーキ色が大好き

コートは何着か持ってます。一番長いのは25年選手です。これは真冬用のツイードのロングコートなので、来年の冬に写真で登場すると思います。それ以外のコートは、黒とカーキと、こげ茶です。ここからの季節は、茶色に近いカーキ(今日のコート)と、グリーンに近いカーキの2着です。

 

③シャツの上に、そのままコートを羽織るのが大好き

シャツのうえにセーターとかを着ずに、そのままコートを羽織るのが好みです。シャツは、体形のもんだいで、インにするのが厳しいので、そのまま外に出せる着丈のものを主には選びます。

 

④コートには細めのパンツを合わせます

ほんとなら、スキニーを選びたいところですが、辛口コメントで有名な、我が家の中3女子いわく、「おかあさんは、スキニーをはいたらあかん。っていうか、スリムをはけば、世間でいうところのスキニー状態になるから、スキニーは絶対NG」なので(笑)、スリムのデニムジーンズをはきます。

 

⑤靴は、スニーカーだよね

そして、足元はスニーカーが好きです。いま履いてるのは、「puma」( m ちゃん、ゴメン、思い出し笑いをしてしまう💦💦)です。

 

f:id:nonchi1010:20190306155237j:plain

 

 

⑥「お手本」を手帳に挟んでいます

憧れる「お手本」を眺めるのが、好きです。お気に入りの服屋さんのカタログとか、雑誌とかで、「あ、これ、好き」と思うショットを切り抜いて、手帳に貼り付けています。ときどき、ぼ~っとしたいとき、眺めます。「好きな服」と「似合う服」はイコールではないんだけど、どこかちょっとでも取り入れられたらいいなぁと思いながら。

 

f:id:nonchi1010:20190306155312j:plain

 

そんなこんなの、今日の恰好。寒くても、あったかくなりすぎてもできない、この「シャツの上にコート」が似合う季節が、わたしにとってはたのしい季節であり、いい季節、とも言える。花粉ちゃんに泣かされるだけでなく、たのしいことだってなくっちゃ、やってられんわいっっ。ね~?

 

おつきあい、ありがとうございました。

 

追伸

自分がこんなふうに能天気な記事をアップするとき、いま、どこかで、とてもしんどい思いをしているひとがいるんだなぁって、思う。誰かに聴いてほしいとき、元気になりたいとき、ゆっくり黙って一緒にいてほしいとき、思いっきり弾けたいとき、腹立たしくてたまらないとき…そのときどき、その気持ちにあわせて、「きょうのあなたに届くブログは、これだよ」っていう仕組みがあればいいけど、それって難しい。でも、この呑気な記事が、しんどいひとを、よりしんどくしなければいいな、と思ってる。同時に、ちょっと凹んでる誰かが、「おしゃれでもして、コーヒーでも飲んでこよう」って思って、出かけてくれたらいいな、とも思ってる。

 

自分に置き換えると、ちょっとさみしいときとか、しんどいときとか、落ち込んでるときに「あの人の文章を読みたい」って思い浮かべるブログがいくつかあります。そういう人、そういうブログをみつけて、そっと訪ねて読んでみるのもいいし、思い切ってコメントを書き込んでみるのもいい。屈折しているわたしは、自分が沈んでいるときに、しあわせそうなひとをことを、真正面から笑顔で見つめられないことが往々にしてある。そういうときは、おもいっきり深く潜って、そういう屈折している自分を放任することも、だいじだよなぁって、最近は、そんなふうにも思う。そして、浮き上がりたくなったら、プカッと海面に出て、息継ぎすればいいか、って、そう思ったりします。

 

なんか、まとまらんけど、そういうことを考えながら、いつも、書いています。

ええ子に育ってます。

みなさま、こんにちは。

わたし、朝から、花粉症で頭がぼ~っとしています。(花粉症で、か? とか訊かないでちょうだいね♡)

今年は特に眼も痒い。でも、一番ツラいのは、頭が「痛い」ってほどじゃないんですけど、なんか、ぼ~~っとするの。薬も飲んでるけど、それのせいでもなさそうな…。なにしろ、ツラいです。

花粉症仲間のみなさん、大変ですね~。がんばって乗り切りましょうね~~。

 

さてさて、そんなわけで、仕事から帰ると、いつも以上にぼ~~っとしているおかん。公立高校の受験をいよいよ来週に控えた娘が、やさしくいたわってくれますのよ。

 

ゆうべも、だいぶしんどかったから、娘に夕飯を食べさせて、塾に送り出したあと、しばらくはリビングで横になっていたのだけど、こりゃ、いよいよしんどいな、って思ったので、申し訳ないけど、先に寝させてもらうことにしました。

 

テーブルに置手紙を。

 

〇〇へ

 

おかえり~~。

おかあさんは、ちょっとしんどいので

申し訳ないんやけど、先に寝ます。

あんまり遅くまでがんばらずに、

ちゃんと寝てね。

がんばれ、〇〇!!

 

おかあさんより。 

 って、書いて、寝ました。塾が終わって帰ってきたのに気付かないぐらい、もう寝ちゃっていたんだけど、なにやら人の気配を感じて目を開けると・・・

 

娘が頭をなでてくれていた(笑)。

「おかあさ~ん、かわいちょ~に(かわいそうに、をちょっと赤ちゃんことばで)、しんどいんやな~。寝ていいよ~。おやすみ~~~」と言いながら、よしよし、してくれていた(笑)。

 

なんか、ほっこりしましたわ。

「ありがとう、〇〇~~」とお礼を言って、でも、そのまま、再び寝ました。襖をそ~~~っと閉めて、隣のリビングで勉強していたみたいです。

 

朝は反対に、わたしが彼女にやさしくしてあげましたよ♡ お野菜たっぷり入れて、洋風の雑炊(もしや、これをリゾットというんだっけ?)を作りました。「めっちゃあったまる~、めっちゃウマい~~」と言って召し上がっておりました。

 

******************

こないだ、仕事場の引き出しを片付けていたら、むすめが10歳のとき、「1/2(二分の一)成人式」で作ってくれたカードが出てきました。大事にしまいすぎて、ちょっと忘れてた(笑)。当時は3人家族(ばあちゃん・むすめ・わたし)だったので、真ん中にむすめ、その両サイドにばあちゃんとわたし、というカードの「つくり」になっていました。右から、ばあちゃん、むすめ、わたし、の順です。

 

f:id:nonchi1010:20190305135537j:plain

 

ばあちゃんのお人形が圧倒的におっきい(笑)。これについて、こないだ、久しぶりに自分がつくったカードを見た娘は「ありゃぁ~~、力関係、示してるなぁ」と笑っていました。まさに、だよね。わたし、めっちゃちっちゃい。何なら、むすめとほとんど変わらんやんか(笑)。そういえば、むすめは当時もよく言っていた。「おかあさんと〇〇、ふたりとも、おばあちゃんの子どもっていうかんじやなぁ」・・・(苦笑)。

 

でも、確かに、そんな時期がありました。おかんは仕事ばっかりして、むすめの子育ては、ばあちゃんに丸投げ、みたいな。そのことが、むすめにとってはとてもしんどくて、いろんなかたちで反発をしたこともありました。いろんな紆余曲折があって、いまの、むすめとわたしの2人暮らしが始まりました。

 

それにしても、さ。

うちのむすめ、ええ子(いい子)に育ってますやん。エラいよ、ほんと。

 

おかんは、頭はぼ~~っとしてるけど、ちゃんと、考えることは考えている(笑)。感謝はちゃんとできているよ~❤️。

 

今日も、春の足音が、また一歩、近づいてきてるかんじ、しました。だから、この花粉症だって、乗り切らなくっちゃ。

 

春は、たのしいこと、いっぱいあるもんね。

 

f:id:nonchi1010:20190305135639j:plain

 

 追伸

いつも、これぐらいの頻度でブログを更新するであろう、と思っている友だちが静かだと、なんだか、ちょっと気になるのです。どうしてるんかなぁ、元気かなぁ。「なぁなぁ、いま、なにしてんの~~~~??」と、ついつい、ピンポンダッシュしてしまいそうになる nonchi でございます。

『グリーンブック』に想う(若干の加筆修正あり)

みなさま、こんばんは。

土日の研修を終えて、やっとパソコンに向かうことができました。ゆうべも、きもちはあったんだけど、なにしろ研修の中身がnonchiのもっとも苦手な「数字(そろばん勘定)のはなし」だったため、脳みそが完全ノックアウト状態になってしまいました。軽いかんじで書きたくもなかったので、今晩まで先延ばしにさせてもらいました。

 

な~んて、大袈裟に、もったいつけて、すみません(笑)。

 

観てきましたよ。公開初日の『グリーンブック』。

 

本編のおはなしをする前に・・・。最近、「映画館で観る映画」の魅力に、遅ればせながら気づいたわたし。去年の秋ぐらいから、ポツポツと、そんなかんじになってきてはいたのですが、一番おっきかったのは、やっぱり『ボヘミアン・ラプソディ』でした。しかも、自宅から車で10分ちょっとのところに「イオンシネマ」があるのに、長らく「宝の持ち腐れ」をしておりまして、レイトショーなら、どの曜日でも1100円で観れてしまう、このしあわせを、最近満喫し始めたところです。

 

映画がスタートする前に、「近日公開作品」を紹介してくれるでしょ?あれを観ると「あ、次は、これを観よう」って思う。『グリーンブック』も、そうやって、観る気満々で待っていた作品です。

 

******************

『グリーンブック』とは、人種隔離政策下で、公然と非白人への差別が行われていたアメリカにおいて、「黒人でも利用できる宿泊施設やレストラン、ガソリンスタンド」などを紹介した旅行ガイドブックのこと。この本をつくったのは、自身もアフリカ系アメリカ人のヴィクター・H・グリーン。

 

 公共交通機関からも排除されていた黒人たちにとって頼みの綱であった自動車で、できるだけ、不愉快な思いをせずに旅ができるよう、宿泊できる施設のない地域では、旅行者を泊めてくれる個人宅を紹介するなどし、アメリカ南部において特に重宝されました。

 

彼は、第一版序文に、こう書いています。

 

「いつか近い将来、このガイドブックが発行されなくなる時が来るでしょう。その時こそ、一つの人種としてのわれわれが、合衆国において権利と特権を平等に手にする時なのです。」

 

(解説は、ウィキペディアおよび映画公式サイトを参照させてもらいました)

******************

 

映画は、ニューヨークの一流ナイトクラブのイタリア系用心棒トニー・リップが、天才黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーの用心棒兼運転手として、この「グリーンブック」を手に、人種差別が根強く残る南部への演奏ツアーに出発するところから始まります。あからさまな黒人差別者であったトニー・リップが、ドクター・シャーリーを後部座席に乗せて走る車の旅は、どうなっていくのでしょう・・・。

 

******************

このブログを訪ねてくださる方のなかに「もうすぐ観に行くよ」という方が、何人もおられるので、映画の具体的なシーンに詳しく触れることはせずにおきます。が、とにかく、笑えるし、泣けるし、音楽にも魅せられる、とってもすてきな作品であることだけは、声を大にしてお伝えしたいと思います。

 

それと、もうひとつ、感じたことを、少し長くなりますが、書かせてもらおうと思います。

 

この映画は1962年のアメリカ、とくに南部が舞台になっています。1962年といえば、アメリカには、非白人への差別が法律でも認められていた時代。黒人であるというだけで、バスにも乗れず、レストランも、トイレも、白人と同じところを利用することが許されませんでした。そればかりか、命までも奪われることが平然と行われる時代。映画のなかにも、ピアニストであるドクター・シャーリーへのあからさまな差別的扱いが描かれています。これらのシーンにたいして、「実態はそんな生ぬるいものではなかった。軽く扱いすぎだ」という批判がアメリカ国内にはあったそうです。

 

でも、わたしの感想はちょっと違います。たしかに、とりわけ南部における黒人差別がどれほど惨いものであったか、それを思うとき、まっさきに浮かんだのは、1977年に日本でも放映されて、小学生だったわたしも観た『ルーツ』というドラマです。南アフリカで生まれた黒人少年「クンタ・キンテ」が奴隷商人に狩られて奴隷船でアメリカへ連れて来られるところから、三代にわたる黒人奴隷の物語のなかで描かれた、白人たちによる黒人への差別は、いまでも思い出せるシーンがあるほど衝撃的でした。そこまでの烈しいシーンは、『グリーンブック』には登場しません。が、静かに、いろんなところで、観るわたしに訴えかけてきました。たとえば、綿花畑で働く黒人労働者たちが、白人の運転する車の後部座席に悠々と座るドクター・シャーリーに向けた、なんともいえない複雑な視線。物腰はやらわかくとも「黒人のお前には、絶対に白人用のトイレは使わせない」と拒絶する白人ウェイター。その差別的扱いを甘んじて受けるドクター・シャーリーの哀しい笑顔。➡この部分、書いてから、ずっと気になっていまして。同じような場面が、映画のなかにいくつか出てくるのですが、思い返してみて、やっぱり、「甘んじて受ける」という表現は、どのシーンにもあてはまらなかったのじゃないかと。なので、この一文は、削除しようと思います。が、消しちゃうと、自分が迷って、悩んだプロセスも消えてしまうので、まどろっこしいけど、敢えて、「打消し線」を使わせてもらいました。ドクター・シャーリーの、差別的待遇へのひとつひとつの反応、表情や、ことばの全部が、本当に胸に訴えかけてくる。美しくもあり、哀しくもあり、震えるような憤りが伝わってくるようでもあり。とにかく、ここは、実際にスクリーンでご覧いただきたいです。nonchi のしょーもないコメントは、まったくのお邪魔です。直接的な暴力シーンもありましたが、それよりもむしろ、静かな場面に、差別の根深さ、そのことへの憤りを感じました。「生ぬるい」とはけっして思いませんでした。

 

それと、人間は変わり得るんだという「希望」が、この映画の底にはずっと流れています。そして、人間と人間が出会うことによって、わかりあうことによって、お互いを「大切なひと」と認め合うことによって、社会は動かされていく、変わっていく、という「夢」が貫かれていると、わたしは思います。

 

****************

 

この映画を観終わって、本棚から出してきたのは、アメリカ公民権運動の指導者として、非暴力抵抗運動の先頭に立って闘い、39歳で凶弾に倒れたマーチン・ルーサー・キング牧師の本です。

 

リンカン記念堂前の広場に集まった20万人超える人びとに向けて、彼が行った演説を、あらためて、読み直しました。

 

 

友よ、私は今日あなたがたに言いたい。われわれは、今日も、明日も、多くの困難に直面するだろうが、それでも、私には夢がある。

 

私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、〈われわれは、すべての人びとは平等につくられていることを、自明の心理と信ずる〉という信条を、真の意味で実現させることだ。

 

私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子が、兄弟として同じテーブルに腰をおろすことだ。

 

私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧のために熱く蒸しかえるミシシッピ州でさえも、自由と正義のオアシスへと変わることだ。

 

私には夢がある。それは、いつの日か、私の四人の小さな子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に生きられるようになることだ。

 

私には夢があるのだ!

 

われわれが、すべての村や集落で、すべての州や町で自由の鐘を鳴り響かせるとき、そのときこそ、われわれは、黒人も白人も、ユダヤ教徒も異教徒も、プロテスタントもカトリックも、すべての神の子たちが手を取り合って、あの古い黒人霊歌を口ずさむことができる日が来るのを、早めることができるのだ。

 

ついに自由だ! ついに自由だ! 全能の神に感謝せん、われわれはついに自由になったのだ!

 

 f:id:nonchi1010:20190303225629j:plain

この演説が行われたのが1963年。そして、彼が志半ばで倒れたのが1968年(ちなみに、この年、私は生まれました)。そのことに想いを馳せて、できればもう一度、『グリーンブック』を観てみようと思っています。

 

 

追伸

今日は3月3日。ささやかですが、娘と「おひなさま」ケーキタイム、しました。

 

f:id:nonchi1010:20190303225740j:plain

 

追記

『グリーンブック』のことなんですけど、映画のなかで、ものすご~~~くキュートだったのが、リップ(運転手)のワイフであるドロレス。どこがキュートだったか、言いたくてたまりませんけど、我慢しときます。最後の最後まで、しっかりご注目を♡

夜にゆっくり。

みなさま、おはようございます。
いい天気だよ!研修を抜け出して、春を見つけに行きたい気分ですが、勤勉なnonchi は(嘘😊)、間もなく会場に向けて出発します。


ゆうべ観た『グリーンブック』。


書きたいこと、たくさんある。コメントくれたみなさんにもお返事したい。今日の夜、わたし自身も楽しみにして、ゆっくり書きたいと思っています。


今日一日留守にするので、お鍋いっぱい豚汁を作りました。娘もわたしも、それぞれ、がんばる週末。あったかい豚汁で、つながりあいたいという気持ちを込めて❤️

f:id:nonchi1010:20190302081553j:plain