のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

空に届けたい珈琲。

頑固一徹おかんの4人きょうだいの末っ子だった「おっちゃん」。

若くて暮らしが安定していた頃のおっちゃんは、今思えば非常にカッコよかった。

男前、という意味での「カッコいい」ではなく(笑)、

何ていうか、生き方がカッコよかった、気がする。

 

その昔、中学生だった私に、初めて「労働の対価」をくれたのはおっちゃんだった。

 

おっちゃんが経営していたデザイン事務所に「雑用係」として2週間ほど雇ってもらった。どんな仕事をさせてもらったか、詳細は忘れてしまったのだけど、断片的に憶えていることがいくつかある。

 

シルバーのボディに黒い取っ手のついた戸棚というかキャビネット。

その扉に黒でライオンの顔が描かれていた。

なんとも「おとな」な感じがして、何度も開けたり閉めたりした。

 

事務所の外に、缶コーヒーとかジュースの自動販売機を置いていた。

当時流行っていた「当たりが出たらもう1本」の機能を搭載した販売機。

 

おっちゃんは、その販売機の扉を開けて、ジュースやコーヒーを補充しながら、いろいろ教えてくれた。「いつから缶コーヒーを『温』にするか。このタイミングが大事なんや」とか、「『当たり』の出る確率を変動させて、売れ行きを見るのがおもろいんや」とか。そして、自分は缶コーヒーを飲みながら、わたしには「つぶつぶみかん」のジュースを飲ませてくれた。頑固一徹おかんは、「缶ジュースは体に毒や」といって飲ませてくれなかったので、ジュースの缶を真っ逆さままでひっくり返して、みかんのつぶの最後の1つまで飲み干したかった(笑)。

 

で、お仕事の最終日、ちゃんと給料袋に明細を入れて「正式に」お給料をくれた。

 

「のんちゃんは実に機転の利く、いい働き手でした。ご苦労様でした」といって渡された、わたしの初めてのお給料。一番おおきなお札が入っていたのだけ、憶えている。ものすごく誇らしくて、「働く」ということへの大きな憧れの気持ちをプレゼントしてくれた。

 

いとこの中で、そんなことをしてもらえたのは、きっと私だけだったと思う。なんでかわからんけど、わたしはどこかで「特別扱い」してもらっていた気がする。のちに、歳をとったおっちゃんを沖縄に訪ねていっしょにごはんを食べたとき、おっちゃんがポロっと言ったことで、その「特別扱い」の理由がわかった気がした。

 

「あの〇〇ちゃん(頑固一徹おかんのこと)の娘をやってるのんちゃんは、ほんまにご苦労さんやと思う。あんたはエライ(笑)」と言ってくれた。「あの」のなかには、きっといろんな意味がこめられていたと思う。それこそ、親子6人で暮らしていた頃の「姉と弟」の頃から、お互い家族をもった頃、家族から離れておっちゃんが一人で彷徨っていた頃、沖縄で暮らすおっちゃんを大阪からおかんが心配していた頃、その時々におっちゃんがおかんに対して感じたことがギューッと詰まっている気がして、なんか、ありがたくて泣けた。

 

そんなおっちゃんは、缶コーヒーよりも、もちろん「珈琲」が好きだった。最後のほうは、アルコールの「おかげ」で手もだいぶ震えていたけど、それでも、たばこをふかしながら珈琲を飲むときのおっちゃんは、とても「おっちゃんらしい」かんじがした。

 

そのおっちゃんに、とびっきりの珈琲豆が届いたよ。

 

ありがたくて、ありがたくて、封をあけてポロポロ泣きました。

そして今朝、記念の1杯目を、心を込めておっちゃんに淹れました。

 

 

空に届けたい、やさしい珈琲。

 

本当にありがとうございました。