のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

いちばん身近な後輩の成長。

最近、仕事で自分のリーダーとしての役割というか、舵取りというか、ありようすべてというか、そういうのを問われる状況が続いていて、このブログに書きたいこと、たとえば映画、たとえば音楽、たとえば手芸、たとえば梅仕事、などなどをずっと書けずにいる。最初の数行で止まってしまい、文章にリズムがない。こころにもリズムが起きない。


それとは対照的に、いま、相棒ちゃんの文章がなんというか躍動感にみなぎっている。その文章たちは、もっぱら看護学校の授業で課されるレポートだけど、その内容が、とても素晴らしい。こないだは、お昼にLINEがきた。「画像が届いてる」との通知だったので、「もしや、今朝持たせたスープが、ポットの蓋が緩かったとかでこぼれて困ったぞーーーってか?!」と焦って確認したら、レポートに花丸がついた画像で「おかあさん、授業で名指しでほめられた!!」と(笑)。そんなこと、いままでなかったので、相当うれしかったのだろう。わたしは「スープこぼれ事件」の想像と、おめでとうのことばを返信した。


夕方帰宅したら、また別のレポートも、先生の温かいお褒めのメッセージ付きだった。先生が患者さん役をしてくださり、その患者さんに一年生の彼女・彼たちなりに看護を展開してみて、その振り返りのレポートだった。書いている途中、何度か読ませてもらってはいたけど、完成版を読んで、正直、泣きそうになった。「そうそう、そのとおりやで」と思うところがたくさんあった。というより「そうそう、そうだったよね」と、なにか、大切なものを呼び覚まされる気がした。


いま、わたしが直面している状況は、その大部分をわたし自身が招いたとは思う。でも、そこへの立ち向かい方を、もう少し、なんというか、希望的にというのか、自分が持てる可能性、ちからを自分自身が信じて、肯定して、やっていかなきゃだめなんだと、相棒ちゃんの文章が教えてくれた。


いちばん身近な後輩。


メキメキと成長している。


その根っこは、おかんとわたしと彼女で培ってきた。


うん。


だから、わたしも、がんばれるはず。