のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

「のんちゃんのごはんは、生きる元気をくれる」

最近、仕事のことで悩みが尽きなくて。自分ひとりのちからではどうしようもないことだけど、なんの妙案も浮かばない自分が不甲斐なくて、夜も熟睡できなかったりする。今日、スタッフから「最近、ちょっと元気ないでしょ」と言われてドキッとした。あぁ、それを周りに感じさせてるようじゃ、だめなんだよなぁ・・・。

 

そんなふうに低空飛行しているわたしだけど、時々一緒にごはんを食べるひとから、すごくうれしいことを言ってもらった。

 

のんちゃんのごはんは、ただのごはんじゃない。

のんちゃんのごはんは、生きる元気をくれる。

そういうごはんをつくれるのは、すごいこと。

 

・・・えっと。わたしは決して料理の腕がいいわけではないと思っている。そんな斬新なものをつくるわけでもないし、こだわりの一品も、そんなにいうほどのものは、ない(笑)。それなのに、わたしのごはんから「生きる元気」を得てくれるひとがいるというのは、なんともありがたくて、こちらのほうが元気をもらえた。

 

わたしのごはんには、何が入っているのだろうか。ふと考えてみた。

 

その結果、思ったのは、「わたしのなかの喜怒哀楽、ぜんぶ」が凝縮されてるってことなのかも、ってこと。腹立たしいときは、その腹立たしさのままに野菜を刻んで、悶々とするときはその気持ちのままにお鍋の中をかきまわして、笑えるときには、その飛び跳ねた気持ちでおにぎりをぎゅっと握って、凹んだ気持ちは、お砂糖をいっぱい入れたジャムで慰めたり、そんなかんじで台所に立っている。

 

そうやってつくるごはんだから、同じように悩んだり、迷ったり、腹立たしさに歯ぎしりしたくなったり、さみしかったり、くやしかったりするひとが、ちょっと元気になれたりするのかも。楽しい気持ちの時には、それがより膨らむようなうれしさがあるのかも。

 

 

 

 

いや、どうなんだろ。よくわからんな。

 

でも、はっきりわかることは、その言葉をもらって、仕事に思い悩んでいるわたしが、すごく元気になれたってこと。

 

 

その元気を燃料にして、また、台所から、「生きる元気」をつくりたいなと思っている。

 

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