のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

探してないときに、見つかる、そんなもん。

火曜日の祭日って、ちょっといいな、と思った。

 

最近とても憂鬱な月曜日に、「今日1日だけがんばったら、また明日休めるぞ~」と自分を鼓舞できた。気力と体力と、両方がちょっと弱り気味のこの頃、とてもありがたい休日だった。

 

ならば家でゆっくりしとけばいいものを(笑)、結局、いつもの出勤時間とそんなに違わない時間に車のエンジンをかけて、山の方面に走らせてしまった。

 

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山の麓じゃ、ちょっとお高い果物やお花をちょこちょこっと買って、シャイなおっちゃんが淹れてくれるあったかい珈琲をすすって、気になっていた喫茶店でふたたびの珈琲タイム。

 

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角っこのテーブルを独占して、景色を眺めながら、ちっちゃいボリュームで流れる音楽を聴きながら、サイフォンで淹れてもらった珈琲と、丁寧につくられたホットドッグをいただいて、じわ~~~っとからだの芯からぬくもる感覚がすばらしい。

 

 

帰りに必ず寄る古本屋さんで、すてきな本を見つけた。

 

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わたしのちょっとだけ「おねえちゃん」のキョンキョン。

憧れの「おしゃれ番長」なだけでなく、役者さんとしても、ひとりの人としても、魅力にあふれた彼女の文章には、ほかのところでもちょくちょく触れていたのだけど、10年にわたって新聞に書評を書いていたことは知らなかった。シンプルな装丁にも魅かれて棚から取って「帯」を読んで、泣きそうになった。

 

その本を読みたくなるような書評を目指して十年間、

たくさんの本に出会った。

読み返すとその時々の悩みや不安や関心を

露呈してしまっているようで少し恥ずかしい。

でも、生きることは恥ずかしいことなのだ。

私は今日も元気に生きている。

    ―――――「はじめに」より

 

その場に足を投げ出して座り込んで読みたくなるほど、中身が気になって、「はじめに」だけを立ち読みした。

 

そこには、ずっとずっと前のキョンキョンのことが書いてあった。アイドル絶頂期の控え室で、「誰もわたしに話しかけないで」のメッセージのかわりに読書に没頭していたというくだりを読んで、彼女の根っこに近いところがほんのちょっとだけ見えたみたいな気がした。そして、書評を書いた97冊のタイトルを眺めてみると、何冊か、自分も読んだものがあった。そのページに飛んで、ひとつ、ふたつ、読んでみた。そこでまた、泣きそうになった(というか、ちょっと、泣いた)。あぁ、わかる、わかる、と思ったのと、自分がことばにできてこなかった気持ちが、とてもやさしいことばで書きあらわされていたから。

 

読書がきらいなほうではないはずなのに、なんだろうか、最近、本が読めない自分に、少しブルーになっていた。だけど、きっと、また本が読みたくなる気がしてきた。読みたい気がしてきた。

 

探しているときには見つからないものが、適当に歩いていると向こうから近づいてきてくれることが、たまに、ある。

 

キョンキョンの本は、そんなかんじで見つかった。

 

すごく大事な発見や出会いは、そんなもんなのかもな、と思ったりした。

 

 

 

「おかあさんは、グルグル、丸しか編まれへんの?」と笑われながら、コースターや、鍋敷きや、水筒のカバーなぞ、無心で編んでいた最近だったけど、「読書の晩秋」がやってきたかな。

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