のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

薄切りと、千切りと、大きめみじん切り。

昨日の夕飯は、二日目の焼き豚と、「年季のはいった」千切りキャベツと、具材満載の変わり丼。

 

薄切り=焼き豚(お肉のかたまり)を薄くスライスする。これがなかなかうまくいかなくて、ついつい「厚切り」になってしまう。相棒ちゃんにしてみたら「分厚くて結構☺」なのだけど、提供するこちらとしては、できるだけ薄く切って、枚数を増やして、「ごちそう」感をアップさせたい(笑)。

 

千切り=前日に続いて、「年季の入ったワザ」って言うほどでもないけど、それなりに年月を重ねてきた包丁さばきによります「千切りキャベツ」。きのうはきゅうりの薄切りとプチトマトもミックスして盛り付けた。

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みじん切り=変わり丼の具材は、まぐろの刺身、イカの刺身、山芋、沢庵、をそれぞれ大きめのみじん切り(さいの目切り、というほどのサイズでもない)にして大胆に混ぜて、「めんつゆ」で味付け。アクセントに大葉を散らして、お好みで焼きのりで巻いて食べるもよし、ごはんのうえにのっけて丼にするもよし。わたしは丼がお好み。

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昨日は、仕事の終わり際になって、一大アクシデントが発生。スタッフからの報告を聞いて対応策を一緒に考えて、昨日の段階でできることはやったうえで帰宅したけど、なかなか簡単には切り替えられず。でも、台所に立って、包丁を握って無心に刻んでいると、なんとなく、いつの間にやら、少しこころがほぐれていることに気付く。

 

こういうとき、台所と仕事と、両方を持っていることのありがたさと、豊かさについて感謝する。どちらも、わたしにとって欠かせない大切な場所であり、生きる意味。

 

そうして出来上がった夕飯を、塾帰りの相棒ちゃんが大喜びで頬張ってくれると、さらに心豊かになる。

 

しあわせって、こういうこと。

 

これぐらいのことが、広く隅々に行き渡る社会って、そんなに難しいのだろうか。

 

こないだ、いわゆる「こども食堂」を運営している友人から聞いた。

 

 

いつもひとりで来る子がいて、

「一人分で大丈夫なの?」ってきいたら、

実は、外でお母さんが待ってるんだって教えてくれた。

お母さんは「子ども食堂」だから、

せめて子どもだけでも、って思って、

ご自分はお腹空いてるのに、外でそっと待ってらした。

もちろん、その日から、お母さんにも一緒に入ってもらうことにした。

 

お母さんはものすごくものすごく恐縮して、

すごくちっちゃくなって食べておられた。

そんなお母さんが、どれだけおられるかと思うと、

ほんとに、この社会をどうにかしないと、って思う。

 

 

わたしも、そう思う。

 

わたしたちが、めざすものは何だろう。

 

この夏こそ、そのことを静かに、深く、考えたい。



追記

本文に書いた「子ども食堂」は、いまはコロナ対策も含めて「食堂」から「お弁当」になっている。おかあさんが恐縮して食べる姿を想像すると、お弁当っていいなと思う。子どもさんと、ゆっくり、誰の視線も気にせずに食べる方がきっとおいしい。そのお弁当は、ほんとにカラフルでおいしさと愛情に満ちているんだって。その材料も、作り手も、みんな「持ち寄り」。コロナが下火になったら、その食堂で歌ってほしいと言われてる。わたしも、楽しみにしてる。