のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

闘ったからこその、「敗北」。

(本文は修正してません。タイトルだけ、アップしてからモヤモヤしていて、書き直しました。)



日曜日の東京都議選の投票率の低さと、その結果が、週明けからずっとお腹のずっと奥のほうにずしーんと重く横たわってるかんじがする。いまの東京で?この状況で?なんで?なんで?なんで・・・・?って思ったけど、でも、たとえばいま、大阪で「維新」を後退させることができるかと、自問して、ため息をつく自分がいた。

 

わたしは、smokyさん(id:beatle001)が記事にしてくださったおかげで、30年続けてきたナースの仕事を辞めて立候補した「ふうさわ純子」さんのことを知り、選挙途中でカンパと激励メールを送った。そこから毎日、彼女の事務所から短いメールが届くようになった。「他党の候補者とバッティングして、街宣の場所がなくなったので、別の駅へ移動します。応援に来てくださるみなさん、申し訳ありません」というメールが何度も届いて、仕事の合間にデスクでそれを読みながら、切なくてたまらなかった。わたしはこれまでに何度か国政選挙の街宣活動に参加したことがある。候補者本人の乗った街宣車に同乗してマイクを握る、いわゆる「ウグイス」をやってきた。だから、この「街宣場所を取られる」ことの悔しさ、情けない気持ちはものすごくよくわかる。それを回避するためには、その場所に「先乗り」してくれる人たちが必要で、それ以前に、そのコース取りを考える人たちの存在も欠かせない。ふうさわさんに、そんな人たちがどれだけいてくれたかと想像すると、本当に、本当に、切なくなる。やっと辿り着いた場所を「先取り」されていたときの彼女や、彼女を支えようと共に行動していた人たちの気持ちを想像して、それだけで泣きそうになった。同時に、そのことが容易に想像できた「苦しい闘い」に挑んだ、挑まずにいられなかった彼女のことを、心からすごいと思った。

 

今朝、彼女の選挙事務所を通じて、彼女自身の「お礼のあいさつ」メールが送られてきた。彼女に寄せられた票は「16344票」だったそうだ。「(この票の)重みをしっかりと受け止め、これからも精進して参ります」と綴られていた。

 

ふうさわさん、すごいですよ。

 

彼女はたしかに「敗北」したけど、でも、わたしは思うのだ。それは、彼女が闘ったからこその結果なんだ。

 

わたしは闘ったのだろうか。

 

これからのわたしは闘うのだろうか。

 

ずっとそのことだけを考えて、うなだれているわけではないけど、でも、これはとても重い問いかけだと思っている。この選挙に票を投じることができたひとだけでなく、わたしも、考えなくちゃいけないと思っている。

 

このままでいいのか。

 

「敗北」さえしていない、わたしのままでいいのか、ってことを。

 

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梅シロップ3日目の朝。

梅の実から、おいしいエキスがどんどん出てきてるのだろうな。