のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

アツい包み紙。

久しぶりに、1日に2回ブログをアップする。

今日書かないと、と思うためであります。

 

わたしがいまの職場で仕事をしはじめた頃、と~~ってもおっかないひとがいた。入退院を繰り返す夫さんと2人暮らしをしていた妻さん。夫さんは数年前に亡くなって、ひとり暮らしになった妻さんのところに、わたしが所属する病院から訪問診療にうかがっている。

 

まぁ、ほんと、厳しいお方で、よく「〇〇さん呼んでちょうだい」とご指名があり、「看護師がどうあるべきか」についてコンコンと指導を受けた。ちなみに彼女は看護師では、ない(笑)。途中でわかったのだけど、その方はうちの頑固一徹おかんのことを遠くからご存知だったようで、「あんた、あの〇〇さんの娘さんなんか?」と尋ねられたところからさらに私への熱心な語りかけに拍車がかかった。非常に「とっつきにくい」お方ではあるが、ハートは非常にアツく、とくに「はたらく女性の権利を勝ち取ってきた」世代のプライドみたいなものがみなぎっていた。「あんたががんばって病院の中枢に就いてくれるのを期待してる」なんて肩をバチバチ叩かれたりもした。

 

そして、いま現在わたしは彼女が期待してくれたことにポジションだけは近いところで仕事をしている。役割が増えることになった当初お目にかかったときは、「あんた、よくがんばった。堂々とやっていきなさい」と、実のおかんにも言われたことのない「はなむけの言葉」をいただいたりもして、穴があったら入りたい気恥ずかしさを覚えたりした。

 

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おっきな声では言えないが、その彼女から、ときどき、ほんとときどき珈琲をいただく。あ、わかってます、頂き物はだめなんですよ、ええ。だけど、どうしても断れないことってやっぱりあって、彼女からの珈琲もそのひとつ。「インスタントコーヒーはあきません。あんたはちゃんと珈琲豆でコーヒーを飲みなさい」と言って1杯ずつ淹れるタイプの個包装の珈琲を押し付けるようにして渡してくださる。

 

数日前、その珈琲を、2年ぶりぐらいにいただいた。その包み紙が、アツかった。

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最高裁大法廷で、15人中11人の裁判官の判断によって再び夫婦同姓が「合憲」とされたことを報じる6月24日付の朝刊の、わざわざ1面だけを折り曲げて、包み紙にしてあった。

 

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人を介して受け取らせてもらったのだが、わたしには、この包み紙から言葉がたくさん、たくさん、聴こえてくるようだった。

 

「あんた、しっかりせなあかんよ。ちゃんとモノを言っていかなあかんよ。このまま流されておってはあかんよ」

 

いつかのように肩をバチバチ叩きながら、ハッパをかけられている気がした。

 

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わたしは、法律婚をしていたとき、別姓にはできなかった。「できなくても、自分は自分」って思っていた。だけど、わたしにとっては、自分の姓が変わるということは、暮らしの、生き方の、あらゆるところにじわじわと影響していった。そして、最終的には離婚をして、そこからは「わたしはわたし」のままでいる。

 

夫婦別姓で、日本の家族のかたちが壊れるとは、わたしは思わない。どっちでも、というか、どんなふうでも、自分たちが一番自然だと思うかたちにすればいいのだ。その選択の自由を保障することが、「法律婚のかたちをとりたい、夫になるひとの姓と同じにしたい」と思うひとたちを否定するものでは全くない。みんな、自分たちはどうしたいかを話し合って、自分たちの結論を出せばいい。それだけのこと。なのに、またしても、それを阻む判断がなされた。

 

「あんた、この事実から目を背けなさんなや」

 

大先輩の彼女から、わたしはそう言われている気がしてならない。

 

非常にアツい包み紙から取り出した珈琲。

 

 

 

心して、正座して、火傷しそうになりながら、フーフーいいながら、味わって、染み込ませるように、飲ませていただかなくっちゃ。そして、そのあと、どうするか。

 

 

アツい宿題だな、これ。