のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

「生活者」としての勘を、大切にする。

こんにちは。

 

アメリカ大統領選挙、最終的にどうなるのでしょうね。残念な意味で「20時すぎ」に結果が出てしまう選挙をたくさん見てきたので、こんなに緊迫した開票速報、ある意味「すごいなぁ」と思います。

 

でも、直前に行われた、身近な「住民投票」の結果の余韻のほうが、わたしのなかには、まだまだ色濃く残っています。

 

いわゆる「大阪都構想」の是非を再び問う、大阪市民(この「括り」から外れるひとたちがたくさんいることを、今回、あらためて深く考えさせられていますが)を対象にした「住民投票」。

 

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投票日当日、わたしは正直なところ、結果をみるのが怖いなぁと思っていました。だからテレビもネットも見ずに布団に入ろうと思っていました。

 

そんなわたしに結果を速報してくれたのは、なんと、17歳の相棒ちゃんでした。

 

ちょうどその日、友だちとの約束があって「外泊」していた相棒ちゃんが、LINEで知らせてくれたのです。

 

「おかあさん、『反対』が勝ったで!!」

 

そして、続けてこう送ってきました。

 

「いいほうに裏切られた」

 

まさに、そんな感じ。

 

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わたしは、このブログで、政治的なことも、歴史認識についても、日韓関係についても、時々ではあるけれど、そして言葉を丁寧に熟考しながらではあるけれど、思うところを書いてきました。

 

でも、今回の「住民投票」をめぐっては、結局、一度も書かずに終わりました。それがなぜなのかなぁと、ずっと考えているのですが、ひとつ思っていることがあります。

 

「都構想」を推進する人たちの主張は、聞けば聞くほど、強引な感じがしたのですよね。「今のままではあかんやろ? だから変えていかなあかんねん。絶対うまいこといくから、つべこべ言わんとついてこい」みたいなかんじ。中身がどうかということ以前に、その「空気」にものすごく違和感を感じていました。それなのに、なんとなく、そのことを発信しにくかったのは、「反対するんやったら、何がどう反対なのか、ちゃんと具体的に言うてみろ」という圧迫を感じたのです。もちろん、誰かに何かを言われたわけではないのだけど、なんとなく、そんなふうに自分で勝手に委縮してしまった。

 

だけど、結果を受けて、思っています。

 

わたしは、この「萎縮」から、わたし自身を解き放たないと、あかん。それが、政治に参画するということなんだろうな、と。

 

わたしは、今回の「都構想」について、やっぱり「生活者」として、最初からずっと違和感があります。もちろんいまも賛同できません。その理由を、理路整然と説明できなくても、でも、「暮らし」が大切にされない感じ、地方自治にまで「利益」や「効率」や「勝ち負け」がはびこる空気、そのことに違和感とNOを感じる「生活者」の勘を、大切にしたいと思います。

 

ただしていかなければならないこと、いっぱいあると思う。「今のままではいけない」というのも、わかる。だけど、それは、やっぱり面倒でも、時間がかかっても、もっと丁寧に、もっと「生活者」に近いところで、議論し、試行し、修正していくべきものなんじゃないかと思う。

 

そのことを、わたし自身が、もっと「自分の言葉」で、伸び伸びと発信していきたい。そうできなかったことが、今回の、わたしの最大の反省。

 

この「後味」は、自分のなかでちゃんと噛みしめたいと思っています。そう思っている自分を、このブログでは、ちゃんと書いておこうと思いました。

 

がんばれ、わたし。

 

ちっちゃい勇気を、自分の言葉で、これからも。

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