のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

あらためて、笑顔で「我がブログ」をいこう。

おはようございます。

 

ここ数日、「ポスト安倍」の動きと、「病を抱えて奮闘していた安倍首相」への巷の評価に、気が付くと、どんよりしてしまっていた。

 

「病気をおして職務を全うしようとしたひとに対して」あるいは、「それを途中で断念せざるをえず、断腸の思いでいるひとに対して」、「人として、さらに上から踏みつけるようなことを言っていいのか」という声が、とてもたくさん聴こえてきて、さらにどんよりしてしまっていた。

 

でもやっぱり、いくら考えても、「それと、これとは、違う」のだ。

 

彼は持病のせいで、政治課題を解決できなかったのではない。彼は持病のせいで、良心の呵責にたえかねて命を絶ったひとへの真摯な態度がとれなかったのではない。持病のせいで、新型コロナウイルス感染拡大防止のための政策が「補償軽視の自粛任せ」になっていたのではない。

 

そのことを考えて、うつむいて、笑えなくて、どんよりしてしまいがちなわたしだったのだけど、いやいや、それじゃあかんのよ。

 

笑顔で、自分の思うこと、ちゃんと表明していこう。

 

そう思います。

 

わたしのブログを読んでくださる人たちは、わたしのいろんな部分に好感や、関心をもってくださっているのだと思います。

 

あるひとは、わたしの「ごはん」

 

あるひとは、わたしと「相棒ちゃん」の日々の暮らし

 

あるひとは、わたしの「音楽ばなし」

 

あるひとは、「わたしと韓国のこと」

 

あるひとは、「頑固一徹おかんのこと」

 

あるひとは、「政治とわたし」

 

あるひとは、「歴史とわたし」

 

あるひとは、「わたしとひととのつながり方」

 

 

・・・・・それぞれ、みなさんとわたしがつながっているチャンネルは違うのだと思います。だから、ある部分のわたしのことは好きだけど、別のところでは「ちょっとな」っていうのも、もちろんあって当然だと思います。

 

なのだけど、ついつい、わたしは、「わたしの全部に『Yes』であってほしい」と思ってしまうほうなのですよね。それで、気が付くと、ものすごく積極的にではなくても、八方美人になってしまってる自分を感じます。

 

今回もそう。

 

つい、「当たり障りのない」ことを書いてしまいそうになったのです。

 

 

 

 

だけどね、

 

 

やっぱりね、

 

 

 

それ、できない。そして、それ、したくない。

 

 

だから、わたしの発信することを読んで「え?そうなの?」と違和感を覚えるひとがいるかもしれないけど、「え?のんちってそういう考え方なの?」って思うひとがいるかもしれないけど、でも、やっぱり、わたしは、わたしにしか書けないブログを、笑顔で、書き続けていこうと思います。

 

 

 

ふと気が付くと、読者さんがものすごい数になっていて、そのことには、もちろん感謝しかなのです。それはほんとに、ほんとに、そうなの。数多いブログのなかから、読んでもらえるって、ほんとにありがたいこと。そして、過去には、増えていく読者さんの数が、「イコール自分のブログの値打ち」みたいに思いそうになっていた時期もあったのだけど、でも、「嫌われないための」「もっとたくさんの人に読んでもらえるための」ブログは、「わたしのブログ」ではないのだと思います。

 

 

なので、

 

 

やっぱり、わたしは、わたしのブログを。

 

 

 

わたしが、わたしを解放できるブログを、

 

 

これからも、書いていこうって思います。

 

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ゆうべ、久しぶりに「スナック菓子」をおつまみに、梅酒ソーダを飲みました(笑)。

 

なんか、「ひとり飲み」が心地よくて、しあわせでした。