のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

小5のわたしを、抱きしめたい。

おはようございます。

 

少し前の記事に、ちっちゃい頃の「みかん狩り」の写真を載せたことがありました。若い父のそばで、お弁当のあと疲れて眠りこけている、ちっちゃいわたしの写真。

 

あの写真と一緒に、小5のときの読書感想文が出てきました。

 

その作文のことは、とてもよく憶えていたのだけど、まさか実物が残っているとは思っていなかったので、びっくりしました。保存の仕方から、おそらく頑固一徹おかんが残しておいてくれたんじゃないかと思います(確認はしてないのだけど)。

 

あらためて読み返してみて、思うことがいろいろありました。そのことを、このブログに書いてみようと、当初は「その気」でいたのだけど、「それ、自分のなかだけでいいんじゃないのかな」とか「あんまりたのしい話じゃないしなぁ」とか、後ろ向きな気持ちが膨らみかけていたのです。が、そのわたしを動かしてくれたのが、映画『カセットテープ・ダイアリーズ』の主人公の青年であり、もうひとりの主人公ブルース・スプリングスティーンです。

 

自分こそが、自分のことばを信じる。

 

そうだ。やっぱり、そうしよう。

小5のわたしに、あのとき、共感してもらえなくて、悔しくて泣いた、ちょっと生意気で、とても孤独だったわたしに、いまのわたしからエールをおくろう。そして、「小5のわたし」は、いまのわたしの根っこだから、大事なこのブログに、載せておこう、そう思いました。

 

(今回も、短くまとめる自信がありません。それと、小5の作文をそのまま載せます。解釈も、表現も、とても拙くて、烈しくて、不愉快なきもちにさせるかもしれませんが、敢えて、おとなのわたしが「意訳」したり「割愛」したりせず、原文のまま載せます。懐深く、受け止めていただけたらうれしいです)

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作文は、小学5年生の夏休みの宿題、読書感想文でした。

わたしが選んだ本は、灰谷健次郎さんの『太陽の子』。

 

太陽の子 灰谷健次郎 あらすじ に対する画像結果

内容(「BOOK」データベースより) ふうちゃんは、神戸生まれの女の子。おとうさんとおかあさんは沖縄出身で、神戸の下町で琉球料理の店「てだのふあ・おきなわ亭」を営んでいる。やさしい常連さんたちに囲まれて明るく育ったふうちゃんだが、六年生になった頃、おとうさんが心の病気で苦しむようになる。おとうさんの病気の原因は何なのか?ふうちゃんは、「沖縄と戦争」にその鍵があることに気づきはじめる…。戦争は本当に終わっているのだろうか。なぜおとうさんの心の中でだけ戦争は続くのか?今、日本人が本当に知らなくてはならないことがここにある

 


「太陽の子」を読んで

                  〇〇 〇子

わたしは、この本を読んで、本物の沖縄を知りました。

今までは、大人の人から「戦争のひどいところで、いまでも形だけしか日本にもどっていないんや」ということぐらいしか、聞いていませんでしたし、自分からもそれ以上は聞こうとしませんでした。

しかし、この本を読んでからは、いろいろな沖縄があることを知りました。

その中でも印象に残った沖縄は、やはり戦争の沖縄です。

沖縄は、最初から本土に見はなされたと同ぜんに、武器もなければ、兵隊もろくにいないありさまで、米軍がやってきました。結果は言うまでもなく、沖縄はひどい負け方をし、沖縄の住民は何のつみもないのに、ほのおにまかれ、米軍におそわれて、約1/3(45万人中16万人)ものつみもない人間が、人間に殺されました。

こんな沖縄の戦争を観て、私は米軍をせめるより先に、本土の人間(つまり、自分たち)をせめてやりたい。自分たち同じ日本人をふみ台にしてまであまいしるをすって楽な思いをしていたいのか、本土の人間の気持ちが、ぜんぜんわかりません。

本土の人全員の問題であるかもしれないけれども、私はたぶん、日本の「しほん家」が、そういうふうになるよう、無理にしむけているんだと思う。

広島や長崎に落とされた原ばくも、「しほん家」が、自分たちが負けそうになった戦いでもつづけたりしているから、米軍が戦争を早くやめようと思ってしかたなしに落としたんだと思う。

今でも、沖縄県は失業りつ全国で1位で、進学りつが全国さい低です。

このことからしても沖縄はまだまだ日本に戻っていないし、戦争が終わったともいえないと思います。

 

 

読書感想文のはずなのに、本のあらすじは皆目わからず、感想になってない感想文。だけど、それほどの衝撃だったんだなぁと思います。はっきり思い出せないのですが、本を読んで、「なんで沖縄がこんな目に遭わなければならなかったのか」ということに、ものすごく心が動いたのだと思うんです。それで、きっと自分でいろんな本を読んだんじゃないかと。そのなかから、戦争について、本土と沖縄の関係について、「戦後」の沖縄について、当時の私なりにいろんなことがわかって、そして、さらに、怒りがこみあげてきたんだろうと思います。

 

一番びっくりしたのは「しほん家」の登場。これを私に書かせたのは何だったのだろう。本で読んだのかな。でも、そうなら「資本家」と漢字で書けたんじゃないかという気がするのですよね。そう考えると、もうひとつの可能性としては、頑固一徹おかんの存在。「なんで戦争なんかするん?」とおかんに直球をぶつけたのかもしれません。教えてもらったことを、もちろん理解はしきれず、だけど、「そうか、そうなのか!!」という衝撃を、書かずにいられなかったのかな、と思います。

 

いま読んだら、「受け売りなんだろうな」と思うところはたくさんあるのです。でも、「なんでこんなことになるの?」という、その圧倒的な理不尽さに対する怒りと、その理不尽さの延長線上に自分という存在もあるということに気付いて、たまらない気持ちになったんだろうなと思います。

 

その「たまらない気持ち」を、拙い表現でも、こうして文字にした、小5のわたしに、「よく書いたね」と言ってあげたい。どんな気持ちで書いたのか、ゆっくり、ゆっくり聴いてあげたい。それと、40年以上も経過して、その理不尽さに結果的に加担している、いまのわたしについて、ちゃんと考えたい。小5のわたしが、夢中で「なんで?」に向き合ったように、いまのわたしも、ちゃんと考えたい。いまの沖縄について、いまの日本について、「なんでこんなことになるの?」という問いに、ごまかさずに、ちゃんと向き合いたい。威勢のいいことは言えないし、やれないけど、でも、少なくとも、この小5のわたしに、恥ずかしくないわたしでいたいと思います。

 

もうひとつ、大事なことを。

「この作文のことはよく憶えている」と冒頭に書いたのだけど、憶えていたのは、本文の内容よりむしろ、作文の最後に、担任の先生から赤ペンで書かれたコメントでした。

 

「早く世界中が平和になればいいですネ。」

 

そう書かれていたんです。このコメントを読んだときの残念さを、むしろわたしは鮮明に憶えています。「いやいや、わたし、そんなことが言いたいんじゃないねん」と、ものすご悔しくて。「必死に向き合って書いたのに、そして、いろんな悲しさや、悔しさや、怒りがこみあげて書いたのに、先生はなんにもわかってくれてない。きれいな言葉でわたしから逃げた」と思いました。作文を返されて、悔しくて悔しくて、家に帰って泣いたのを憶えています。

 

いま読むとね、先生もそうとしか書けなかったのかもしれないな、と思わないでもない。小5で「しほん家」ですから。だけど、せめて「〇〇さんが書いてること、先生も知らないことばっかりでした」って書いてほしかった。「がんばっていろんなこと、調べてみたんだね」と書いてほしかったんです。もちろん、先生のせいで、その後のわたしが内向的なフリョーになっていったんだと責任転嫁するつもりはないのだけど、でも、あのときの感情は、わたしのなかにずっと残っています。だから、わたしは、たとえば相棒からなにか疑問をぶつけられたとき、いわゆる「子ども騙し」みたいな返答はしたくない。「おかあさんもわからへん」って正直に言うし、「〇〇はなんでそう思うん?」と、彼女のことばを引き出すようにしています。といっても、最近は、そうやって「なんでもこだわって突っ込んでくるおかあさん、ちょっと鬱陶しい」って思われてるみたいですけど。

 

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この読書感想文は、これからも大事に残しておくつもりです。

 

小5のわたしの、原稿用紙からはみ出しそうな勢いの感情を、ちゃんとわたしのなかで抱え続けていたい。戦争のことを、沖縄のことを、「本土の人間=自分自身」とつなげて考えようとしたわたしを、終らせたくない。何ができるのか、考えながら、動いていきたい。

 

小5のわたしのなかから湧き上がった、わたしのことば。

よく書いてくれたね、カッコいいよ、と言って、小5のわたしを、抱きしめたい!!

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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

きのう、注文していた『カセットテープ・ダイアリーズ』のサントラ盤が届きました。BOSSの歌を聴きながら、仕事に行ってまいります。