のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

「主人」と「主人公」。~言葉へのこだわり~

(本日、超長文になりました。先に、お伝えしておきますね)

 

おはようございます。

 

早寝早起きが、ちょっとずつ定着しつつあるこの頃。

わたしの部屋の窓のすぐ外のところに、小鳥ちゃんの「すきな場所」があるらしく、チョンチョンチョンと小走りな感じで歩いてる音と、チュンチュンチュンという鳴き声が、とても心地よいです。雨戸を開けるとびっくりさせてしまうので、いつも開けられずにそのまま台所に降りています。

 

ここしばらくの大雨のとき、そういえば、こんなちっちゃい鳥たちは、どこに身を寄せていたんでしょうね。鳥にとっても怖かったのかなぁ。人間の都合で、いろんなものを好き勝手に使いまくって、荒らしまくって、その結果おきる気候変動は、何も悪いことしてない、こんなちっちゃい動物にも大きな影響を与えてしまう。なんか、ほんと、考えると、大変な日々を、わたしは生きているんやなぁ・・・って思います。

 

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昨日、午後から少しゆったりする時間があったので、珈琲のお供に何か読みたくなり、いちこちゃん(id:tocotomo)からも勧めてもらって、最近大好きになった益田ミリさんの漫画を選びました。

 

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『ほしいものは なんですか?』

 

 

わたしはいつも

 

いろんなことを考えてる

 

でも それは

 

声に出してしまうと

少し変わる気がするのは

 

「どうしてなんだろう?」

 

 

小学生のリナちゃんの「こころのつぶやき」から始まります。「どうしてなんだろう?」と実際に声に出すまで、リナちゃんはランドセルを背負っておうちに帰る道を歩きながら、こころのなかでつぶやいているんです。

 

40歳の誕生日を迎えた専業主婦のママと、外で働くパパと、パパの妹のタエちゃんと、ママのおかあさん(リナちゃんにとってはおばあちゃん)が主な登場人物。

 

入院中のおばあちゃんを見舞うためにママが出かけるとき、お留守番に来てくれるタエちゃんは、事務系のお仕事をする正社員。おそらく30代。シングルで、最近マンションを買いました。結婚したくないわけではないけど、お相手はいまのところおらず。仕事は、それなりに役割をもっていますが、いわゆるバリバリの「仕事人間」ではないみたいです。

 

リナちゃんは、このタエちゃんと、お留守番中にいろんなことを話すんです。公園のブランコでコロッケを一緒に食べながら、とか、公園のボートに乗りながら、とか、散歩しながら、とか、おうちでケーキを食べながら、とか。

 

でね、ものすごくこころを打たれた言葉があって・・・

 

 

 

 

(「なにになりたかったの?」の問いに)

 

お嫁さんになる夢は、叶ってもいいんだけど…

 

「その人さえいればなんにもいらない」

ってのは、な~んか違うの

 

 

人生には「わたし」がいなくちゃ!

 

なんてね~

 

 

 

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こころ打たれた言葉を、もう少し続けてご紹介して、わたしの気持ちを書こうと思います。

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リナちゃんのママの40歳の誕生日にケーキを囲むリナちゃんとママとパパ。

「いろんな主人公の歳を追い抜いてきたな~」と呟くママの話を聴いていたリナちゃんが「シュジンコウってどういう意味?」とパパに質問したら、パパは、

 

 

ほかに代わりがいない大事な人のことだよ

 

 と答えました。

 

またある日、タエちゃんとお出かけしてクリスマスプレゼントを買ってもらったリナちゃんが、タエちゃんに「タエちゃんも今年、誰かにプレゼントもらうの?」と質問したのに対するタエちゃんの答え…

 

 

キミにいいことを教えてあげよう

 

人は すべての質問に答えなくてもいいのである

 

すべてに答えようとがんばるとどうなるかわかる?

 

見失うんだよ

 

自分を

 

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また別の日、リナちゃんが、「主」のつく熟語を見つけるという宿題を持って帰ってきました。

 

ママから最初にでた「例」のひとつが「主人」でした。リナちゃんは「それ、パパのことだよね?」と。そして「どういう意味?」と尋ねられて、ママは答えます。

 

 

 

う~ん そうだな~

 

家で一番えらい人ってことかな

 

 

でも、ママは、そう答えた自分に、しばし表情が固まってしまうのでした。

 

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40歳を迎えて、「専業主婦」の自分に「なにか違う」と思い始めて、「わたし、また仕事を始めてみようかな」と切り出したママに、パパもおばあちゃんも否定的。そのことをリナちゃんがタエちゃんに話したところ、タエちゃんは「ひとりで働いて食べていく女性」としてカチンときてしまうのです。そして、カチンときたタエちゃんが口にした言葉を、リナちゃんをとおして聞いたママは、「全部揃ってる専業主婦さんが、呑気なこと言ってるね」と言われた気分になって、胸がざわざわしてしまうのです。そして、あるとき、リナちゃんの前で、ふたりの女性が、傷つけなくてもいいはずのお互いを、チクチク刺しあうような会話を展開してしまいます。そして、ふたりとも、そのあと、お互いに、それが「なにもの」だったのかを考えるんです。このくだりは、ほんとに素晴らしい。ちょっとかいつまんで書くのがもったいないので、やめときます。

 

リナちゃんのママは、ちょっとお仕事を探してみるのだけど、もちろん、いまのご時世、そんなに簡単に思う条件での仕事はありません。一旦は諦めることに。この、ママのお仕事について、パパが、実に、実に、歯ぎしりしたくなるような台詞を吐くのですよね。家事労働にたいして、ものすごく失敬な言葉を吐くのですよね。これも、ここでは書きません。

 

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そんなあれこれを経て、そのあれこれのなかで、いろんなことを感じて、考えたリナちゃんが、「主」のつく熟語を探す宿題の答えに選んだのは「主人公」でした。

 

それを玄関先で、報告したリナちゃんを、一旦見送ったママが、思い立って玄関を飛び出て、少し先を歩くリナちゃんにおっきな声で言うのです。

 

 

いいと思う

 

「主人公」のほうが

 

ママ、いいと思う!

 

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そのやりとりのあとの、リナちゃんのこころの呟きと、ママの近所のおばちゃんとの会話、ページにして4ページ、コマにして30コマちょっと。そこを読んで、わたしはポロポロと泣けてきてしまいました。

 

そこには、まさに、かつて、わたしの母が、わたしに向かって、繰り返し繰り返し語ってきたこと、そして、ある日、泣きながら私に問いかけてきたことが書いてあったからです。

 

わたしは、いまはシングルですけれど、法律婚をしていたこともあります。そのとき、絶対に使わないと決めていたのが「主人」という言葉です。

 

母は、わたしがまだちっちゃいときから、おとなたちの会話のなかで「主人」という言葉が出るたびに、「〇〇、よぉ憶えときなさい。あんたの主人はあんたやで。結婚したって、それは変わらへんのやで」と言っていました。でも、わたしの周りには「主人」という言葉は日常的に飛び交い、それこそ、「じゃ、それ以外の呼び方ってなんですか?」と逆に質問したいぐらいの状況でした。いつの頃からか、「夫」とか「連れ合い」とか、「パートナー」とか、「彼」とか、「配偶者」とか、いろんな呼び方が、登場はしてきたけれど、わたしにそういう人が存在していた当時は、会話の相手が「ご主人」と言っておられるのに対して、自分は「夫」という表現を使い続ける、ただそれだけのことで、ものすごく冷たい空気が漂うのを何度も体験しました。

 

最初は「なんのこれしき」と思っていましたが、毎日そういう空気のなかで暮らしていると、たったひとつの言葉だけど、抗って使い続けることが苦しくなってきて、あるとき、「主人」と言ってしまいました。でも、いま思うと、それは、やっぱり私のなかで何かを崩してしまうことになりました。

 

崩れていく「何か」がだんだん大きくなっていく過程で、当時、横浜と大阪で離れて暮らしていた母が、数日だけ横浜に泊まりに来ました。母の目の前で、「主人」という言葉を使ったわけではないのに、母は、滞在中、二人きりになったとき、泣きながら私に言いました。

 

「あんた、いま、自分を『主人』にしてないやろ? わたしは、あんたにそんな生き方をしてほしくて育ててないよ」

 

ものすごくショックでした。だって、大当たりだったから。だけど、当時は否定しました。そして「いつまでも、そうやって、母さんの価値観を押し付けんといてほしい」と抵抗しました。そのときの暮らしを破綻させたくなかったのと、だけど、本当は、すでにわたしのなかでは破綻していて、そのことを認めてしまうと、そこに居られなくなると思ったからです。

 

そのやりとりを経て、そして、やっぱり、そのことから目を逸らしては生きていけなくて、わたしは相棒ちゃんと二人でその場所を出ることになりました。

 

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言葉ひとつ。

そう、言葉ひとつなんだけど、それは、やっぱりとてもとても大切なことだと思っています。

 

いま、言葉が「劣化」してるなぁって思うことが多い。わかっていて、わざと、その場を和ませるため、とか、相手の雰囲気に合わせるため、とか、いろんな理由や背景はあるかもしれないけど、わたし、益田さんの作品を読んで、あらためて思いました。

 

リナちゃんが、こころのなかで自分と対話したり、おとなたちに問いかけていたように、わたしも、ちゃんと言葉にこだわろうって。

 

言葉は、生き方と直結してると思います。

 

だから、面倒くさいヤツだなぁと思われるかもしれないけど、言葉とちゃんと向き合いながら、自分の生き方ともちゃんと向き合いながら、不器用だと思いますけど、そうやって、歩いていこうと思います。

 

相棒ちゃんには、わたしの母がわたしに言い聞かせたようには話していません。そこは、ちょっと強烈な反面教師もあり、おなじ作風でなくてもいいと思っています。幸い、相棒ちゃんは、とてもこころがやわらかく、ああ見えて、いろんなことを考えていると思うので、いまのところはこれでいいかな、と。

 

でも、もし、「このひとと一緒に生きていきたい」っていう人に会わせてもらう日がきたら、やっぱり、その人には、言うのだろうなと思います。

 

「〇〇〇〇(相棒ちゃんのフルネーム)の人生の主人公は、〇〇〇〇やからね。あなたの人生の主人公も、あなたやからね。だから、どっちも、しあわせになってください」って。

 

そして、まぁ、わたしも、この先の人生、どうなるかわかりませんけれど、そういう人が登場した暁には、「わたくしの主人公は、終身、わたくしにございますゆえ」と宣言しようと(あ、宣言などせずとも、見るからに、かもしれませんね)思います。そのことは、相手よりわたしが上とか、そういうことでは全くなく、お互いが主人公として輝けるよう、脇役やら、小道具やら、大道具を、喜んでやらせていただく、ということだと、思っています。

 

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こんなに長文、読んでくださったみなさま、ありがとうございます。

そして、書こうとは思っていたけど、その気持ちを大きく後押ししてくださった、きのうのmarco(id:garadanikki)さんの記事と、そこにコメントを寄せておられたみなさんに、感謝のきもちを贈ります。

 

それと、「言葉」と「本」で、ぴったりでもないけど、遠くもない記事をアップしてた、だるころくんとの偶然の一致にも、友情を贈ります。

 

どうぞ素敵な日曜日を。

 

追伸

この文章を書くにあたり、実はゆうべからすごく時間がかかりました。というのは、わたしの意見はわたしの意見。ほかの方の考えを否定するつもりも、意見するつもりもない、そのことを、どんなふうに本文のなかに含めたらいいのだろうと揺れたからです。「主人」とか「家内」という表現を使っておられても、すてきなご夫婦がたくさん存在していることを、わたしも具体的な例をもって理解しています。なので、今日の記事を読んで、誰かが気を悪くされたり、それ、つらいな、って思ったんです。途中、「やっぱりやめとこうかな」とか思わなくもなかったのだけど、でも、これは、やっぱりわたしにとって大事なこと。そして、「そんなあなたもいていいよ」と思っていただけたら、すごく素晴らしいな、と思ったんです。ブログという世界は、誰かが誰かに無理やり読ませるものではなく、読みたいひとが、読みたいひとのところに訪ねていくもの。違う価値観をもってたり、違う場所で、違う生き方をしている人たちが、でも、自分と違う誰かとつながりたくて、共感したくて、あるいは、刺激をもらいたくて、往来する空間だと思うので、わたしは、わたしの思うことを、素直に書いてみようと思いました。違和感や、不快な気持ちを持たれる方がおられるのは想像したうえで、でも、違いを否定し合わずにいられたらいいな、と思っています。