のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

過ぎれば、すばらしい日々。

おはようございます。

 

ゆうべ、突然の「髪、ばっさり切ります」宣言で驚かせた相棒ちゃんのドライバー兼「追っかけ(笑)」で美容室に同行し、肩より下まで伸びた髪をバサッと潔くカットされて、眼をキラキラさせている16歳の女子を眩しく眺めたわたし。

 

なんでしょうかねぇ。内緒なんですけども、なんか泣きそうになりまして。

 

このブログでは、相棒ちゃんは中学生として初登場。そのときはすでに、随分と成長していて、そして「いい母娘ですね」と言っていただけることばっかりだったのだけど、もちろん、最初っからずっとそうだったわけなどなく・・・。

 

不甲斐ないわたしのような女子を「おかん」として持ったばっかりに、相棒ちゃんにはそれはそれは、たくさん苦労をかけてきたのですよ。

 

なんだか、きのうショートカットになった相棒ちゃんを見て、もともとちっちゃいときからずっとショートカットだったので、「あのときの、あの〇〇が、こんなにおねえちゃんになったんやなぁ」と思うとね、なんか、ほんと、内緒だけど、涙がつーっと落ちそうになった。

 

子どもにまつわる、かなしい出来事が、数日前にも報道されていたけど。

 

子どもたちが慈しまれて育っていくことは、けっして「あたりまえ」のことじゃない。それが叶うためには、いろんなものが必要なんだと思う。そして、それは、ひとりで全部を揃えることは、とてもとても、とても、難しい。というか、無理、だよ。

 

そのことを、僅かながらでも体感したから、わたしは、手離しで断罪するみたいなことはできないのです。哀しくてならないけど、でも、それはひとりを責めることで解決はしない。

 

わたしが、いろんなひとの支えを受けて、いろんなひとのあたたかい言葉をもらって、相棒ちゃんと生きてきたように、誰かの「あったかみ」が、絶対に要るのですよ。

 

昨日、かわいく、且つ「おとな女子」に変身していく、あたらしいショートカットの相棒ちゃんを眺めながら、ほんとに、そう思った。

 

相棒ちゃんがしあわせであれるのは、わたしがいろんなひとに助けてもらえたからなんだ。そのことを、いつか、相棒ちゃんにも、ちゃんと言葉で伝えたいと思ってる。

 

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それとね、きのう読ませてもらった、あるひとのブログで、30年近く前のわたしの苦い失敗と、それによって失くしたものについて、想い出したんです。

 

それはね、相手にばっかり、いろんなことを求めて、相手にばっかり努力を強いて、相手だけを責めて、相手のきもちを全然わかろうとしなかった、相手の苦しさを想像してみなかった、自分だけが大変だと思っていた、自分だけががんばってると思っていたわたしのせいで起きたこと。

 

そのひとは、ピアノを弾く人だったのだけども、

 

 

いまは、弾いているのかな。

 

 

 

弾いていてほしいな。

 

 

 

聴きたいとは、ちょっと思えない。その勇気はないのだけど、

 

 

 

それでも、弾いててほしいな、と思います。

 

 

 

そのひとは、JAZZを演るひとだったのだけども、わたしがJAZZのビートに「ノレない」ひとだったので、あるライブのときに、きっと「何拍子?」みたいに悩んでいるわたしを感じたのでしょう、「無理せんでもええで」と隣でコソッと言ってくれたこともあったな。

 

そして、わたしには、JAZZのアルバムじゃなく、このひとのアルバムを最初に聴かせてくれたのだった。


すばらしい日々 - 矢野顕子 (12/05/12)

 

いっぱい失敗をして、いっぱい迷惑をかけて、いっぱいいやな想いをさせたけど、過ぎれば、すばらしい日々。

 

そんなことも、あんなこともあって、わたしは、いまのわたし。

 

そして、相棒といっしょに、暮らしています。

さつまいもの芽を、育てたり、しながら(笑)。

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