のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

水は、高台から流れ、底辺に溜まる。

こんにちは。

やっと土曜日。月曜から数えて連続6日目の仕事。いつもなら「ヘビーだな」と書きたいところだけど、今日はそんなかんじになれなくて。

 

きのう、観てしまった、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』。

 

ちょっと、すごかった。

 

16時前から観始めて、映画のあと19時から、きれいな夜景とおいしいお肉を囲んでの食事会があったのだけど、そして確かにお肉は実にイケていたのだけど、その感覚がどこか遠くに感じてしまうような、ものすごい「後味」。

 


第72回カンヌ国際映画祭で最高賞!『パラサイト 半地下の家族』予告編

 

映画パンフレットの最初のページをめくると、「ポン・ジュノ監督からのお願い」という文章が目に入る。

 

(抜粋)

本作をご紹介頂く際、出来る限り兄妹が家庭教師として働き始めるところ以降の展開を語ることは、どうか控えてください。

みなさんの思いやりのあるネタバレ回避は、これから本作を観る観客と、この映画を作ったチーム一同にとっての素晴らしい贈り物となります。

頭を下げて、改めてもう一度みなさんに懇願をします。

どうか、ネタバレをしないでください。みなさんのご協力に感謝します。

                       ---ポン・ジュノ

 

そうだと思う。そのとおりだと思うので、わたしも、可能な限り控えるよう努めたい。

 

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わたしは、かれこれ10回近く、韓国を訪れたことがある。その大半が、「過去の歴史から何を学ぶか」「これからの未来を、どう一緒に展望するか」ということについて考えるために、韓国の近現代史を学ぶフィールドワーク的な取り組みや、現在進行形として「セウォル号事件の真相究明」や「キャンドル革命」の現場に居合わせることを目的にしたものだ。

 

映画『パラサイト 半地下の家族』には、そうした韓国への旅で、いままで私が出会ってきた人たちの「くやしさ」や「やるせなさ」や、「分断」や「孤独」、「哀しみ」や「憤り」、「涙」と「笑い」と「歌」のすべてが詰まっているかんじがした。

 

「ふつうに暮らす」ことを叶えるために、ありとあらゆる努力をしても、そこに届かないひとたちがいる一方で、驚くほどに裕福で、「持たざる」ひとの存在が視界にさえ入らないひとたちが、同じ社会に生きている。そして、太陽は同じように両者を照らし、雨もまた、両者の頭上に、降る。

 

高台に降る雨が、坂道の傾斜を流れて、最後は底辺に溜まる。「豪邸の庭の『キャンプごっこ』の演出」としての「愉快な雨」が、流れ流れて、やがて底辺の街を飲み込んでいく。「格差」なんていう生易しい表現で語れない不条理さが、画面いっぱいに広がる。鼻を突くような、臭いといっしょに。

 

上映中、なんども「あっっ!!」と声が出てしまいそうな(実際、2つぐらい向こうの席の女性は、何度も、そんなふうになっていた)、息をすることをしばし忘れてしまいそうな、そんな展開の連続だけれど、でも、最後の最後は、ものすごく静かで、そして、何なら、エンドロールに流れた歌は、メジャーコードだった。

 

あの、高台から流れ、底辺に溜まり、あふれかえった水の、あの絶望的な勢いを目の当たりにしても、それでもまた、そこから再び起ちあがり、暮らしを営んでいく人びとの息遣いやにおいや体温が、伝わってきそうなエンディング。

 

受け取ったものが、途方に暮れる現実なのか、その先に見える希望なのか・・・・。

 

数えきれないほど張り巡らされた伏線を追いかけながら、もう一度、自分で確かめるために、また映画館に足を運ぶことになりそうだ。