のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

溢れてくるものを、ことばに。

こんにちは。

ゆうべの「のんち食堂」、楽しかったです。みなさんからも、いろいろお声をいただいて、さらに「ごはん屋さんになりたい」熱が増しておりますが、もちろん、実際問題、また、いつもの朝がきて、いつものお仕事、させていただいてます。

 

今朝、いつものように台所のカウンターで「立食」。向かい側には、週末にお泊りしていたおかん。う~ん、色気がない(笑)。

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でも、おかんがうれしいことを言ってくれました。

 

「あんた、昨日は一日中、ものすごいええ顔してたわ」

 

あら、そうなんや。それうれしい。でも、実は自分でもちょっと感じていました。「あぁ、わたし、こういうの、好きなんやな」って、自分が一番よくわかったかも。

 

台所側から、テーブルを囲むみんなの笑顔を眺めて、何度も「のんちさん、これ、ほんまにおいしいわ」とか言ってもらって、「しあわせすぎる~」とか言ってもらって、そして、台所でお茶碗を洗いながら、会話にもちゃんと参加して。

 

わたし、暮らしながら、考えるのが好きです。かしこまって、会議室で「”口”の形」にテーブルを並べてする「学習会」よりも、こんなふうに、台所に立ちながら、あるいは子どもたちのお世話をしながら、あるいは洗濯物を干しながら、いろんな話をしたいんです。

 

その原風景はどこにあるのだろう。

 

考えてみたところ、わたしが小さかったとき、おかんたちが、そんなふうに集まっていたんだな、と思いました。子どもを保育園に迎えに行って、そのまま誰かの家に集合して(それが我が家であることが多かった)、ご飯をつくりながら、それこそ立ったままで、やってたもんなぁ。そのおかんたちのあいだを、子どもたちがわちゃわちゃと駆け回って、ちっちゃい子をおっきい子が「よしよし」して、あっちではけんかもしてたり、ほんとに賑やかだった。そういう、おとなと子どもの声が混ざり合ってるのが、わたしの「こころのふるさと」かもしれません。

 

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こうしてブログを書くようになって、気付いたら500記事を超えてました。そして、最近すごく思うことは、書いてるうちに、自分が何をめざしていきたいか、何を考えてるか、何が大切か…、あらためて、自分自身について気付かせてもらうことがたくさんあるのです。それと、自分の記憶のなかに眠っていた、いろんな音の風景の「引き出し」を開けるチャンスをもらっていると感じます。ひとりだったら、きっとこんなふうにはできない。少し前にも書いたかもしれないけど、ほんとにそう思う。

 

「のんち食堂」に、いちばん元気をもらったのは、当のわたし。その気持ちを文字にしてここにアップすることで、さらに感受性のスイッチをポチッと押してもらったようで、心のなかのいろいろが、記憶のなかの風景が、いっぱい溢れてくるかんじなんです。もしかしたら、わたしという人間の、「感受性の成長期」なのかもしれないなって思います。だから、溢れてくるものがどこかにいってしまわないうちに、できるだけことばに書き留めようと思います。日記帳は続いたためしがないわたしだけど、みなさんのおかげで、ここになら書けそうかなって思います。

 

そんなわけで、ますます「おしゃべり」になりそうなわたしですが、今週も、どうぞよろしくお願いいたします。

 

追伸

きのうのごはん、お気に入りの写真、いくつか追加で見てほしいのがあるので、貼り付けま~す。

 

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