のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

ガンバレって、言いたい。

こんにちは。

いいお天気。朝から大好きなちっちゃい花を眺めて、職場への坂道を歩きました。

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娘は風邪薬と、ゆうべのハーゲンダッツアイスクリームでほぼ完治(笑)。朝の薬をすでに忘れそうになっていました。いいな、若いって。一晩でこんなに元気になれるのね~。

 

バナナケーキの最後のお楽しみ。今朝は「ずんだ餡」を添えてみました。これ、めっちゃおいしいです。ずんだ餡のほんのりの塩加減が、バナナケーキも含めた甘みとマッチ。色も、なんかキレイですしね。たまたまの「残り物コラボ」ですが、「またやってみよう」って思える一品になりました。

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(ここから、長くなります)

「やさしくないよなぁ」って思うことが、あります。

 

PTAの委員会で、活動の招集に対して、まだ1回も来られてないひとがいます。わたしは「連絡担当」なので、みなさんの招集がおっきな役割なのだけど、今回の招集へのお返事に、「不参加です、っていうのを伝えること自体が申し訳なくて、ストレスで、しんどいです」って、メールに書いてありました。

 

わたし、個人の意見としては「じゃあ、もうね、できるひとだけで、がんばろっか」って言ってしまいたい。その方の不参加の理由には、おしごとのことが書いてありました。それ読むと、もう、なおのこと「大丈夫だよ、もういいよ」って言ってしまいたかった。そのひとは、最近ありがちな「誰もなり手がいないので、最後はじゃんけんかくじ引き」の「くじ引き」で当たっちゃったひとなんです。

 

いまの世の中、ほんとに「PTAどころじゃない」っていうひと、少なくないと思う。そもそも、「PTAって必要ですか?」と思ってます、わたし。とくに、いまのような形骸化したもの、「いりますか?」「誰のためですか?」って思ってる。だけど、すぐにそれがなくせないなら、ほんとにしんどいひとには、やっぱり、ほんとにできないんだと思ってます。

 

むかしむかし、わたしが小中高生のころの認識は、「PTA」=「専業主婦のお母さんたちがやるもの」でした。それだっておかしかったと思うけど、それは、「その時代」だから成立し得た。「専業主婦のおかあさん」という存在が一定程度いて、その人たちに担ってもらえる状況だったと思う。だけど、いま、もう時代は変わりました。よくも、悪くも変わったと思う。そして、もとより、「専業主婦」=「時間がたっぷりある、自由なおかあさん」とも思ってません。そこ、私なりにこだわってます。

 

そしたら最近は「お仕事してても、当たったらやっていただきます。働いてます、は辞退の理由になりません。病気してるか、親を介護してるか、なにか、特別なことがなければ、当たったら必ずやってもらいます」って。まぁ、そりゃそうかもしれんけど、その表現ってどうなのかな。なんともやさしくないよな、って思っていました。それと同時に「大丈夫ですよ。できることを、できる範囲でやっていただければ大丈夫ですよ」と、さも「大したことない」的にアナウンスして、なり手を見つけようとする先生。これにも「ほんまにそうなん?そんなに楽チンなの?」って疑問を感じてました。

 

実際に約半年やってみて、確かに仕事は激務ではありません。でも、「やり方」が、やっぱり「平日のお昼間にみんなで集まりましょう」なんです。すると、仕事してたら、完全に「午後から有休」か「一日休み」をとらないと参加できない。その時間じゃないとやっちゃいけないのか、そのあたりもよくわからないまま、ただ「委員長さん」からの招集を学年のみんなに拡散して集約する。それがいまのわたしの役割です。

 

で、今回のお返事、です。もちろん、ほかに参加してくれてるひとたちが、楽に来てくれてるとは思いません。事実わたしも、午後から有休をとって参加してます。でも、「だからあんたもそれをやらなあかん」っていうのをどこまで言っていいものなのか。「おんなじ苦労をしてもらわな不公平です」っていうのは、わたしにはどうしてもしっくりこなくて。

 

わたし、シングルマザーですけど、世間のシングルマザーのイメージよりも、経済的には恵まれてるほうです。仕事も常勤です。休もうと思えば、自分の仕事の調整さえつければ、「あんた、PTAぐらいで休むの?」的な視線を浴びることもありません。そのことによって給料が減ることも、もちろんありません。だから、わたしがなにかを担うことで、ほかの、ほんとにしんどいおかあさん(まぁ、もっと言わせてもらうと、PTA=おかあさんのおしごと、っていうのも、ものすごく違和感もってます。そしてなぜか、会長さんだけは大抵男性、ですよね。そのまわりに甲斐甲斐しい女性の副会長さんたちがいらっしゃるイメージです)が現実的に難しい荷物を負わなくていいなら、それでいい。「大丈夫だよ、やらなくて」って言いたい。そのひとがじゃんけんで負ける可能性があるぐらいなら、最初から、わたしが手挙げして、やってしまいたい。そう思ってしまうんです。もちろん、それじゃ、根本解決になりません。なので、ここでは詳細に書きませんが、もっと根本的にどうするのか、ってことについて、アクションを起こそうとは思っています。

 

今回の、不参加のお返事と、それをほかのメンバーとどう受け止めるか、というのは、丁寧にいかないとあかんな、って思ってます。とっても微妙な舵取りです。でも、わたし、思うんですけど、これ、いまの私たちの社会のひとつの縮図のような気がして。

 

面倒なことはキライ。自分だけがやらされるのは不公平。みんなのための仕事に汗をかくことは割が合わない。もし自分がやるとしたら、他のひとが楽したら腹が立つ。(あ、これ、わたしがかかわってるお母さんたちが言ったんじゃないですよ、わたしのなかでの「たとえば」の表現です。誤解なさいませんよう)

 

でもね、それじゃ、世の中、やさしくないです。もちろん、それは、誰かがかわりにやってくれるから、成立するんですよ。休むひと、やらないひとの代わりに、誰かが調整をつけて、ラクじゃないけどやってくれるから。だから成立する。そのことを軽くみるつもりはぜんぜんないけど、でも、「ありがとうね、みんなのために」ってそのことをみんなで労って、ほんとにやれるひとが、やれることをやる。それを持ち寄って、ひとつのことを、ひとつのチームを成立させる。そのことが「ただしんどいだけじゃなくて、ちょっとたのしいとこもあるかも」っていう雰囲気を醸し出していけば、ひとは集まってくるんじゃないかと、わたし、甘いかもしれんけど、そんなふうに思っています。

 

だから、「不参加」のおかあさんには、「仕事がんばって」って返信しました。「ガンバレ」って言いたいです。


人にやさしく - THE BLUE HEARTS '87 9 27

 

いま、これとはぜんぜん違うことで、がんばってるひとがいます。わたしはそのがんばりに対して、なにも助けることができません。それでも、ガンバレって、言いたい。それだからこそ、ガンバレって言いたい。「もう十分がんばってんねん。これ以上、がんばれって言うな」って言われても、やっぱり「ガンバレ」って、心の声を大にして言いたいです。

 

ガンバレ!!

 

追伸

お弁当。ちゃんと食べてます。「ただ口に運んで、咀嚼して、飲み込む」だけじゃなく、ちゃんと味わって食べなきゃ、と思ってます。

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