nonchiのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

甘えたかったんかな。

おはようございます。

今朝も5時15分に目覚ましをかけて、ちょっとだけ布団のなかでぼんやりして、冷たい床と階段を踏みしめて1Fの台所へ。ご飯の消費のサイクルがちょっとズレたので、今朝は、朝一番にごはんを炊くところから始まりました。

 

うちの土鍋は2合炊き。定価ではとても手が出ないお品が、半額セールになっていて、それでも「う~~~~~ん」と迷った末に買ってきた土鍋。何しろ炊き方がシンプルすぎてありがたい。

 

 

お米を研いで、浸水30分以上。

土鍋にお米とお水を入れたら中火にかける。

蓋のヘリからポコポコと重湯っぽいのがあがって、

蓋のちっちゃい穴から湯気がまっすぐに元気に立ち上ってきたら20秒カウント。

そして火を止めて16分。

はい、できあがり。

 

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 ね?火加減も、コツもいりません。のんちにぴったりです。そしてお味はというと、娘もおかんも、そして白ごはん大好きな台所仲間も「これ、めっちゃウマい」と言ってくれる。ほかの土鍋や、圧力鍋、ル・クルーゼでも炊きましたが、わたしも、この土鍋のごはんが一番おいしいと思います。

 

で、今朝の本題はそこではありませんで・・・・

 

娘がダウンしました。

朝、ちょっと様子がおかしいな、とは思っていたんですが、いつものようにギリギリに起きてきて、ぼ~~っとしてるので「お弁当は入れといたよ。ちゃんと朝ごはん食べて行きなさいよ」と若干突き放し気味なことばを残して、先に出勤しました。

 

そしたら、運転中にLINEが。

 

むすめ「おかあさん、しんどい。お腹痛い。だから玄関までお母さんを送られへんかった」。

 

わたし「学校、行けそう?」

 

むすめ「だいぶしんどい。お腹がめっち痛い。薬飲んだけど、ちょっと無理」

 

しばし考えて、職場に連絡し、事情を説明して了解を得て、むすめに再度LINEを。

 

わたし「いまから引き返すから、待っとき」

 

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帰ってみたら、リビングで芋虫みたいに丸まってる娘を発見。「あ、これ、あかんな」と思いました。学校に欠席の電話をして、制服からパジャマに着替えさせて、「自分のベッドからお布団持っておいで」と声をかけ、リビングのおっきなクッションを2つ並べて「即席ベッド」をつくり、そこに寝かせました。顔色も悪いし、何しろ表情に覇気がない。「おかあさん、ごめんな」とちっちゃい声で言ったあと、すぐ眠り始めました。

 

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わたし、高校生の頃、生理痛がものすごくひどくて、授業中、何度も冷や汗かいて保健室に運ばれた経験があります。娘も、そこまではいかないけど、毎回ちょっとツラそう。今回も、そこがおそらく影響しているだろうと思います。

 

わたしは、あんまりにもお腹が痛いとき、学校を早退して、おかんの妹(つまりわたしのおばさん)の家で夕方まで過ごさせてもらうということを時々していました。おばは、専業主婦。それも、いわゆる「カリスマ主婦」の部類。家はいつも雑誌に出てくるみたいにスタイリッシュで片付いていて、料理は上手、ケーキもクッキーも必ずお手製。冬は手編みのセーター、児童文学を研究して、市の図書館で「おはなし列車」という読み聞かせの会を主宰していました。子どもが2人とも男の子だったので、「〇〇(わたし)のこと、おばちゃんは娘みたいに思ってるんやで。だから、いつでも来たらいい」と言ってくれました。

 

別に何をしてもらうでもなく、冬はあったかいこたつに潜り込んで、夏はタオルケットをかけてもらって、ただおばのそばで寝てるだけ。それだけなのに、ものすごくほんわかと、安心できて、お腹の痛みや、痛みを我慢しようとする全身の緊張が解けていく、そんな時間を過ごさせてもらっていました。(ただし、これは、当時、バリバリと働きまくっていたおかんにはゼッタイ言えませんでした。なんだか申し訳なくて。おばも「おかあさんには言わんときや」って言ってたな)。

 

いま、このブログを書いている隣で、クッションの上にのっかって、スヤスヤ眠っている娘を眺めながら、そんなことを想い出しています。そして、きっと、なんですけど、むすめは、わたしに甘えたかったんじゃないかな、と思っています。

 

別にほったらかしにしてるつもりはないんです。というか、家にいないのは、むしろ彼女のほうだから。なんだけど、最近のわたしは「あんた、一体この先どうするつもり?」的なまなざしを、少し意識的に彼女に送り続けてきたように思います。もちろん、甘々、ユルユルばっかりではいけないと思うけど、でも、ちょっと正論ばっかりでブルドーザーみたいにどんどん突進しすぎてしまってたんじゃないかな、と。

 

外で、友だちと好き放題、めいっぱい満喫してるようにみえて、でも、やっぱり、まだ「子ども」な部分をたくさん残しているんじゃないかな、と。答えのみつからない、整理のつかない、まとまりのない話を、ゆる~い空気のなかで、まったりと聴いてあげることって、必要だったんじゃないかな、って。

 

なんか、そんなふうに感じます。

 

「子育て」じゃなく、わたしたち、お互いに育ちあっていくんだと思う。娘がわたしを育ててくれて、わたしも娘を育んでいく。そのどっちもが、必要なんです。

 

責任ある仕事をしていて、当日になって急に休んでごめんなさい。だけど、「今日、ココやな」って思うタイミング、勘みたいなもの、大事にしたい。いつか、娘がおっきくなったとき、今日のこと、もしかしたら、想い出すかもしれないな。それぐらい、今日は、思い切って、むすめもわたしも、休ませてもらいました。

 

甘えたかったんだな、きっと。

今日は、ずっといっしょに、居てあげよ。

 

おかんの分も作ったお弁当、お昼になったら、娘といっしょにいただきます。おかんが「家でいただくお弁当も、すごいしあわせなもんやで」といつも言っているので、それを、今日は娘とふたりで楽しもうと思います。

 

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