のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

貴理子さんの泣き笑いに、涙した。

みなさま、こんばんは。

雨が降ってきました。今日、ずっと心のなかにくすぶっていたことを、ちょっと言葉にして、胸のつっかえを取ってから、帰ろうと思います。

 

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基本的に、芸能関係者が結婚しようが、離婚しようが、子どもができようが、そんなにすごく関心はありません。もちろん、全部に無関心というわけではなく、最近でいえば、樹木希林さんのこと、樹木希林さんのオットさんの内田裕也さんのことには、とても関心をもっていました。だから、関心がないというよりは、それはプライベートなことだから、芸能関係者であっても、ミュージシャンであっても、ふつうに自然に、あるいは堂々としていていいと思うし、私たち、フツーの市民のように「そっとしといてほしい」ときだってあると思う、ってことです。

 

ですが、今日の磯野貴理子さんの離婚のニュースには、関心をもたずにいられませんでした。何とも言えない気持ちになりました。切なかったし、悲しかったです。

 

いまは女性が妊娠出産できる年齢が、昔よりぐっと上がってきて、アラフォーの初産ママだってぜんぜん珍しくない。だけど、どこまでも限りなくその年齢が上がっていくわけではない。もとより、「産むか、産まないか」はきわめて個人的な、デリケートな問題であって、そこに「産めるか、産めないか」ということまで含めると、ほんとうに複雑な糸が絡まるはなしだと思います。

 

彼女と彼には、もともと歳の差がおおきくあって、そのことは承知でパートナーになって、一緒に暮らすなかで、思いがけないことも含めて、それはそれはたくさんの出来事があったんだろうと思う。だから、結果、結婚を解消することがあったって、別にかまわないと思ってる。

 

だけど、今日、流されていた貴理子さんの泣き笑いは、ちょっと、たまらなかったんだよね。泣き笑いに、泣けてしまったんですよ。笑わなくていいのに。もっと泣いていいのに。だけど、せめて笑って、何なら笑い飛ばしてしまいたかった気持ちを、想像してしまう、わたしにも、そういう歴史があります。

 

あぁ、わたしも、笑って話そうと思って、笑い泣きになった日があったよなぁ。笑い飛ばしてやりたかったのに、結局大泣きしてしまった夜があったよなぁって思い出した。

 

わたしはお酒がぜんぜん飲めませんが、もし、貴理子さんがわたしの友だちだったら、おいしいお酒をいっぱい飲ませてあげたい。おいしいものをいっぱい作って、「もうお腹いっぱいだよぉ」って言われても、それでもあれこれ食べさせてあげたい。

 

泣いてしまった自分への悔しさとか、「これでよかったんだ」という安堵とか、全部全部ひっくるめて、もう一回、思いっきり泣いてもいいし、泣かなくてもいいし、どっちにしても、ずっと一緒にいてあげたい。

 

そして、ケロッとして、仕事の話とかをし始めたら、そのまま自分も何もなかったみたいに、フツーに接したい。

 

かつて、職場の先輩(ふたまわり近く年上の女性)に、仕事を終えて、ふたりきりになった事務所で、ものすごく重たい自分のプライベートの報告をしたとき、先輩が黙ってぽろぽろと泣いてくれた。そしてわたしの娘のことをまっさきに心配して、「〇〇ちゃんは大丈夫なの?」と聞いてくれた。鼻水と涙といっしょになるぐらい泣いていたわたしの隣に、じっと黙って居てくれて、「さぁ、帰りますわ。〇〇が待ってるし」と言って席を立ってからは、ほんとに空気みたいに、いつもどおりにしてくれた。それがどれほどの救いだったか、今日の貴理子さんの映像を見ていて、昨日のことみたいによみがえりました。

 

わたしとしては、もう、貴理子さんのあの泣き笑いを、いっぱい流さないでほしい。もういいと思う。あの涙と、一生懸命の笑顔を、芸能関係者だからといって、粗雑に扱わないでほしいと思う。

 

敢えてここに書くべきか、そんなふうに扱われることも、貴理子さんには不愉快かもしれないけど、でもやっぱり悲しかったし、切なかったから、それだけ、一回だけ書いて、わたしも、これで終わりにします。

 

読んでくださり、ありがとう。いやな気持ちにさせてしまったら、ごめんなさい。

さぁ、帰ったら、元気に、夕飯作ります。