のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

春なのに、春だから。

みなさま、おはようございます。

新しい年度の始まり。今日は、わたしの職場でも、新しいなかまを歓迎するちょっとした式があります。むすびのあいさつをすることになってるんだけど、何を話そうかな。

 

ゆうべ、夜中にふと目が覚めて、目覚ましがわりに枕元に置いているスマホでちょっとだけ、読者登録しているブログの「新着記事」を覗いてみたら、大好きな、というかリスペクトするひとが、ブログを「おやすみ」するという文章を書かれていました。

 

びっくりしたけど、さみしかったけど、なんだか、ちょっとだけ納得がいったというか、変な感覚だけど、「なんで?」とは思わなかった。めっちゃ好きなんだけど、元気も、勇気も、女性としての魅力の「爪のアカ」ももらってたんだけど、でも、「そうか」って思ってしまった。

 

中学校の卒業式のとき、答辞のBGMのピアノを弾きました。「春なのに」と「卒業写真」を弾きました。

 

 

春なのに お別れですか

春なのに 涙がこぼれます

春なのに 春なのに ため息またひとつ

   (春なのに より)

 

 

あの頃の生き方を

あなたは忘れないで

あなたは わたしの 青春そのもの

    (卒業写真 より)

 

 

いま、私は中学3年生ではないけど、でも、この2曲が、夜中のわたしの頭のなかに流れました。さみしけどね。ちょっと心に穴は開くけどね。でも、大好きだったし、これからだって大好きだし。もらったものは、消えないしね。ずっと大事にしていくしね。また会えるときもあるかもしれないしね。

 

ブログをとおして、感性のアンテナにピンとくるひととの出会いが、とても刺激的だし、たのしいし、温かい。顔を合わせているわけじゃないのに、それに、毎日会わなきゃいけないわけでもないのに、「今日はどうしてるかな」「何日も更新されないけど、何かあったかな」「元気かな」って、ついつい思ってしまう。それで急かすつもりとかは、毛頭ないし、どんな頻度でアップするかは、そのひと次第、そのひとそれぞれ。そして、ブログの世界以外に、もちろん現実の世界のなかにわたしは生きている。働いている。子どもと暮らしている。その自分と、ブログの世界の自分と、どんなふうに折り合いをつけるのか、どんなふうに共存共栄していくのか。それって、とってもバランスが難しくて、わたしも悩むこと、ある。でも、やっぱり、自分なりのペースで、距離感で、いろんなひととつながり続けていきたいな、と、いまは思っている。

 

「なにか考え中ですか?」「悩み事、あったりするのかな?」

ついついお節介な心配をしてしまいがちなnonchi です。そのお節介を行動に(ことばに)したものかどうか、悩みながら、試行錯誤したりもしています。がまんしきれず、ついつい、こころのドアを「とんとん」してしまったりすることもあり、「ありがた迷惑」だったりすることもあるかもしれません。実物を知らない者どおし、気持ちの伝え合いも、デリケートだとは思っているけど、でも、やっぱり、気になって、何もしないより、何か一声かけてしまうnonchi です。スミマセン。

 

何が言いたいか、まとまらず、まどろっこしくなってしまいましたが、つまりは、

 

春なのに、

でも、春だから、

今日からまた、元気にいこう。

 

そんな気持ちです。

新しい年度、みなさんにとって、清々しいスタートでありますように。

年度が関係ないみなさんにとっても、すてきな4月のスタートでありますように。

おっきな決断をしたあなたにとって、すっきりと晴れた朝でありますように。

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