のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

感謝とともに、9年ぶりのお雛様を。(追記あり)

みなさま、こんばんは。

今日は、ほんとにいいお天気でしたね。

それぞれ、いい日曜日を過ごされましたか?

 

わたしは、お昼に途中経過を短くご報告していましたが、結局、あのあと、お雛様、飾ることといたしました。しかも、いま、娘と確認したところ、なんとなんと、9年ぶりのお雛様だったです。

 

先にお伝えしておきますが、今日は、ちょっと、自分のことを、だいぶ突っ込んで書くことになると思います。

 

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前にも書いたかもしれませんが、うちの娘は、父にあたるひととは1歳半のときに離れてから、1度も会っていません。そして、その後、別の家族のかたちをつくったことがありましたが、それも、いまは、ありません。

 

今日、9年ぶりに飾ったお雛様は、その、いまはない、「別の家族のかたち」を一緒につくろうとしたひとのお母さんとお父さんが、娘に贈ってくださったものです。

 

「別の家族のかたち」が破綻したことの、おおかたの原因をつくった自分にたいする反省よりも、その選択をしたパートナーに対しての「なんで?」という気持ちがまさっていた数年間、わたしは、とにかく、がむしゃらに仕事をしてきました。仕事をしている間は、忘れることができたから。でも、そうやって「仕事人間」に没頭することで、当時居候させてもらっていた母の家での「女3人家族」が、非常にぎすぎすした時期もあり、そのことが娘を追い詰めたこともありました。(ここには書けないようなこと、娘も、いろいろ、やらかしてくれましたし、わたしも、やらかしてしまいました)

 

そういうなかで、このお雛様は、母の家のロフトにしまい込んだまま、最初の数年間は、正直なところ、その存在さえ忘れていたと思います。

 

それが、母親としての自分の不甲斐なさ、誰かと「家族をつくる」ことへの、ひとりの女性としての覚悟のなさに、向き合うことが少しできるようになってから、「あぁ、春だな、お雛様だな。お義母さんに、いただいたよなぁ」と思い出せるようにはなりました。でも、それは同時に「思い出したくない」ことでもありました。ロフトにあがって別の用事をすることはあっても、お雛様を箱から出してあげようという気持ちには、ずっとその後もなれないまま、暮らしてきました。

 

今年も、当初は、お雛様のお顔を見る気持ちはなかったんだけど、でも、なんでしょうね。娘を大事にしてもらったこと、いろいろ、最近、ほんとに、なぜだか、ぽつぽつと想い出すことがあって。電車で1時間以上かかるところを、なにかのイベントにあわせて、お義父さんとお義母さんで訪ねてきてくれました。娘に「小学1年生」の雑誌を買ってくれるのがお義父さんのたのしみだったのも、随分あとに知りました。「安くしてたから」とか「ついでだったから」とか、いろんな枕詞をつけて、娘が気に入りそうなものを、いろいろ買ってくれました。おうちにおよばれしたときには、心がこもった手料理を、上げ膳据え膳で「〇〇ちゃんは、じっとしとき」と言って、御馳走してくれました。そういうこと、「してもらったことの記憶」に蓋をしていた自分にたいして、「もう、そろそろ、ちゃんと、正面向いて、感謝しようよ」って、なんでかわかりませんけど、そう思うようになっていたところ、ちょうど今日、母の家のリフォーム前の片付け中に、ブログのお友だちが「遅くなったけど、お雛様を出したよ」という記事をアップしたのを読ませてもらいました。

 

あぁ、わたしも、お雛様、ちゃんと飾ろう。あの箱を開けて、ちゃんと飾ろうって、素直に思いました。

 

リフォームする予定のリビングの一角に、9年ぶりのお雛様を飾りました。

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お義母さん、たいへんお世話になりました。娘を(お義母さんとお義父さんは、「急に孫ができたなぁ」と言ってくれましたね)大切にしてくださって、本当にありがとうございました。ご挨拶は叶いませんが、これから毎年、ちゃんとお雛様を飾らせていただきます。感謝の気持ちを、ずっと忘れないでいようと思います。

 

すごく古風なお雛様。いただいたあの時より、いまのほうが、ずっと、その着物の色合わせや、お雛様の表情を味わえている気がします。大事に、大事にさせていただきます。

 

 

追記

お義父さんより、お義母さんへの感謝をより強くするのは、やっぱり、自分が母親として子どもを育ててきて、その愛しさを想像できるし、まして、孫が突然できるなんて、一般的なかたちとは違う展開に、本当は、複雑な思いがあられたに違いないのに、いつも、言葉より、あったかさで示してくださった気が、いまになって、すごくすごく、するから。

 

あと、娘に、お雛様を出したよって報告したら、「わぁ、懐かしい。開けたんや、あの箱」と言って、ちょっとだけウルッとしていました。うちのおかんには、開ける前に、お昼を食べながら、わたしの気持ちを話しました。「そりゃあ、そうしなさい。温かいひとたちやったなぁ」と言い、飾る様子をずっと横で見届けて、「立派なもんやなぁ。〇〇にちゃんと伝えなさいや?」って。その言葉にも、いろんな思いがこもっていたと思います。