のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

もっと、知りたくて。

みなさま、こんばんは。

金曜日の夜なので、ちょっとゆっくりしていたら、あら、こんな時間💦💦っていうこと、ありますよね? 今日のわたしも、そんな感じ。これといって、何もしてないのですが、時計を見ると、ありゃりゃ・・・でした。

 

そして、今日もしつこく、この話。

クイーン、です。

 

昨日のブログに書いたBlu-ray「伝説の証~モントリオール1981&ライヴ・エイド1985」の解説書を読んで、いろいろ知らなかったことがわかったという話。

 

「ボヘミアン ラプソディ」を観たときは、フレディが大金を積まれて、クイーンから離れてソロ活動へ傾いたのをきっかけに、解散してしまうかも、という窮地に立ったことが、「クイーンの危機」だったんだと思っていたのですが、それ以外にも、とても大きな出来事があったのでした。

 

1984年10月、クイーンは、当時、アパルトヘイト(黒人を劣悪な環境のなかに押し込め、白人と交わることを禁じた人種隔離政策)で世界から非難を浴びていた南アフリカ共和国の、しかも、白人専用リゾート地サンシティにあるスーパーボウルでコンサートを行いました。

 

このアパルトヘイトに対しては、全世界から非難の声が挙がり、イギリスの音楽家ユニオンも自国のミュージシャンが南アフリカで興行活動を行わないという宣言をしていました。その状況下でのクイーンのスーパーボウルでのコンサートは、「アパルトヘイト支持」とみなされることが想像できたのでは、と思いますが、クイーンは、「黒人と白人が一緒に楽しめる空間をつくりたい」という純粋な思いで、そのコンサートを開催します。

 

が、やはり、この公演は国内外から強い非難を受けることになりました。国連でも「危険思想をもっている」としてブラック・リストに名を連ねることになり、イギリス音楽業界から干されて孤立状態に陥りました。そのあとも、いくつもの受難が続くなかで、「解散説」にもうなずけるような状況になっていたのでした。

 

そのようななかでの、1985年7月13日のライヴ・エイド出演だったということを知ると、あの7万数千人の観客が、RADIO  GAGAで一糸乱れぬ手拍子を送り、「We Are The Champion」と大合唱してくれた、その姿が、どれほどクイーンの4人を勇気づけたことだろうと思います。その観客の熱烈な歓迎に応えて、クイーンは全世界でテレビの前にいた人たちも含め、みんなを「釘付け」にして圧倒的な存在感を示したのです。

 

そのことを知ると、また、あのライヴ・エイドの場面が観たくなる。4人を窮地に立たせたのも、そして再び自信を取り戻して盤石の活動へ導いたのも、「人びと」だった、それをもう1度体感してみたくなるのです。

 

おそらく、わたし、もう1回は「ボヘミアン ラプソディ」を観に行くと思います。しかも、お相手は頑固一徹うちのばあちゃん。あの7万数千人の観客のなかに、母にも飛び込んでもらおうと思います。

 

わたし、もっと、クイーンを知りたい。フレディ・マーキュリーを知りたい。

実は、いろいろ、追加で入手してしまいました。

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「知りたい」と思ったら、とことん!!

また、クイーンつながりの記事、ぼちぼち書いていくつもりでおります。

どうぞ、今後もおつきあいくださいますように♡♡



追伸

わたし、クイーンのことを知りたくなって、まだ駆け出しも駆け出し。なので、長く応援してこられた方が読まれると、「そこ、違うで」と思われることがきっとあるだろうと想像します。でも、あんまり臆病にならずに、せっかく好きになったから、私なりに、書いてみようと思います。なので、違ってたら、あるいは、「わたしは、こう思うよ」というときは、どうぞ、コメントで教えてくださいますように❤️❤️


よろしくお願いいたします✨✨