のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

ユートピア、なのか。

久々、夜中(明け方)のブログ更新です。

 

最近、わりと夜中に目覚めることが少なくなっていました。目が覚めても、「二度寝」が得意になってきました。なので、ほんと、久しぶりに、この時間に起き出して、パソコンに向かっています(只今の時刻、4時21分なり)。

 

唐突ですが、来週、わたしの大好きな韓国のアーティストが兵役に就きます。入隊が公式に発表されてから、というより、その前からずっと、「いつかはその日がくる」と、心のどこかで思いながら、おりました。そして、いよいよ、とうとう、その日が来週に迫ってきています。

 

約2年間。

 

彼が、いわゆる「アイドル」だから、ということでなく(もちろん、それがゆえの不安や、苦しさや、寂しさや、葛藤は察するにあまりあると思っていますが)、ひとりの人として、その約2年をどんなふうに過ごすのか、それをどう捉えていいのか、ずっと考えています。

 

そもそも、なぜ「兵役」があるのか。ものすごく乱暴に要約すれば、「戦争になったときの準備」を、なぜしなければならないのか。目に見えて胸元に銃をかまえることはしなくても、でも、「備え」を訓練する。その「備え」をするよりも、ほかに、すべきこと、できることはないのでしょうか。

 

「あんた、そんなこと言うけど、もしなにかあったらどうすんの?」

「どっかの国が攻めてきたら、丸腰でいいん?」

「大切な家族や、自分の国が、酷い目に遭ったらどうすんの?」

「実際、そういうこと、地球上のそこらじゅうで起こってるやん?」

 

そう言われるかもしれないな、そう思いながら、しかし、それでも、やっぱり、わたしはこう答えたい。

 

「その、構えた銃、おろそうよ」

 

先におろすのが不安だったら、「せ~の」で一緒におろそうよ。そして、銃を構えなくてもいい世の中を、世界を、展望してみようよ。

 

「そんな夢みたいなこと」と言われるかもね。でも、相手にたいする猜疑心や、恐れや、不信や、あるいは差別が、何を産み出してきただろう。それは、世界の、この国の歴史をみればわかること。それを、まだわたしたちは繰り返すのだろうか。

 

構えた銃を、これから「構えろ」といわれる銃をおろすこと、それが可能な社会は「ユートピア」なんでしょうか。

 

わたしの大好きな、その彼は、とってもやさしい声で歌います。すごく饒舌なひとではないけれど、ひとつずつ、ことばを大切にして、話し、歌うひとだと思います。ビジュアルももちろんカッコいいですが、彼の一番の魅力は、その声とまなざしだと、わたしは思っています。その彼が大切にしてきたもの、大切にしていきたいと思っているものと、これからの2年間は、共存するにはあまりに乖離が大きい気がして、とてもとても悲しいな、と思います。自分の歌を聴いてくれるひとを、温かい気持ちにしてあげたい、そう思う彼を想像すると、気分が塞いでしまう。だからこそ、どうぞ身体も心も大切にして、元気でいてほしいと思います。「あなたらしさ」を絶対にまもっていてほしいと思います。

 

そして、再会を待つわたしは、「構えた銃」をおろせるように、わたしにできることを、ささやかでも続けていたいと思っています。それは、もちろん、わたしの娘にもそのまま通ずることでもあります。娘にどんな世界で暮らしてもらいたいか。そのことを考えながら、あれも、これも、それも、ドタバタのせわしない、とっ散らかった暮らしですが、続けていこうと思います。

 

今年の8月15日にアップした記事を、その後、ブログについていろいろ悩んだ時期に、削除してしまいました。その日の文章と一緒に載せた写真を、今日もお借りします。イスラエルとパレスチナの間の検問所で、イスラエル兵に向かって、ピース(peace)サインを送り続ける女性です。同じように、銃を構える兵士に向かって、バラの花を差し出す女性たちもいます。「その銃を、おろしてほしい」。銃を持たず、そのメッセージを自分の存在をもって主張するひとびとに、心から敬意をおくりたい。そこまでの勇気をもてない、ちっぽけなわたしだけど、でも、「ユートピア」は「ユートピア」ではない、と思い続けていきたい、です。

 

 

最後まで読んでくれて、ありがとうございます。

 

その「彼」をいっしょに見送るシャヲルフレンズのみなさん。みんな、それぞれのハートで、「彼」のこれからと、ずっと首を長くして待つわたしたちのことを、一緒に温めていけたら、と願っています。