のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

葉っぱにあたる朝陽と、ほうきの音に。

みなさま、おはようございます。

空気がちょっとひんやりして、空の水色がちょっと薄くて、鳥が鳴いていて、近所のどなたかがほうきでお掃除なさってる音がして‥‥気持ちよすぎる朝です。

 

朝からベランダに出て、数少ない、我が家のグリーンちゃんたちを眺めております。プチトマトは、もうちょっと「猛暑」の時期に種を蒔けばよかったんですが、ちょい出遅れたためか、お育ちがスロー。でも、葉っぱをつけて、背も伸びて、「ここからトマトになるんだよね?」なところもチビチビ育ってます。前にも書きましたけど、小学校のときの「朝顔の成長日記」は大っ嫌いだったけど、いまは、こうして、毎朝ベランダに出て、「おっきなったかな?(大きくなったかな?)」とニコニコしています。

 

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朝陽がね、葉っぱにあたるのが、大好き。なんか、「いのち」を感じるわけです。そして、「シャッッ、シャッッ」というほうきで掃く音に、「くらし」を感じます。当たり前の、こんな光景、こんな音が、当たり前じゃない場所が、この地球にはあまりにたくさんあります。

 

うちの頑固一徹ばあちゃん(このブログの常連さん、わたしのおかん)が、『DAYS JAPAN』という雑誌を、娘が保育園のときから購読しています。雑誌の表紙には、こんなことばが書かれています。

【一枚の写真が国家を動かすこともある。】

【人々の意志が戦争を止める日が必ず来る。】

 

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なかの写真は、いわゆる「マスメディア」がなかなか報じない、世界で起きているさまざまなこと、戦争や環境破壊や、差別や、貧困、あらゆる不条理について、写真を通じて伝えてくれます。少し前に編集長が広河隆一さんから丸井春さんという女性に変わって、わたしとしては、「丸井春編集長の雑誌」っていうかんじが好きになってきました。

 

広河隆一さんは、パレスチナのことや、原発のことなどを、ずっとずっと長く報じてこられたジャーナリストで、スゴいひと。その広河さんが、この雑誌の編集長というバトンを渡すジャーナリストを「公募」しました。時間をかけて選考が行われた結果、丸井春さんが選ばれました。

 

どんなふうに変わっていくのかな、どんなふうに変わらずにいくのかな。

 

そう思いながら、読んでいますが、最近、丸井春さんの「やさしさ」を感じます。もちろん、掲載される写真、書かれた文章は、ページをめくるのに勇気がいるものが少なくありません。子どもや女性たちが戦場で、貧しさのなかで、いのちを奪われていく場面も、そのまま出てきます。ちょっと気持ちに元気がないときは、読めない、こともある。でも、丸井春編集長になってから、そのページのどこかに、わたしみたいな「あかんたれ」な読者のために、「ホッ」とできる、「やさしさ」があるのです。

 

広河隆一さんのときに、それがなかったとは思わない。思わないのですが、何が違うのかな…と思っていた、その「何か」と、今朝の朝陽と、ほうきの音が、似ている気がします。丸井春さんによって編まれる「いのち」と「くらし」のページ。ってことなのかな、と。

 

最新号は、先日お亡くなりになった沖縄県知事の翁長さんが表紙です。沖縄のことも、読んでいくと、こんなふうに平然と、本土で生きて、働いて、子どもを育てている自分が問われる気がして、しんどい、です。でも、これが「真実」だとも思う。だからこそ、頑固一徹ばあちゃんは、我が家にお泊りに来るとき、必ず最新号を持ってきて、テーブルにのせるんだと思っています。

 

最近の娘は、そういうばあちゃんの姿勢がちょっとしんどいのでしょうね。雑誌も見なくなってしまってます。それはそれで、いまはいいかな、って思ってる。無理強いすることじゃないし。でも、ばあちゃんは、その姿勢を崩さないでしょうし、それもそれでいいと思ってます。

 

ただ、保育園の頃の娘は、ポストに雑誌が届くと、保育園から帰ったとき、「ばあちゃ~~ん、でいずじゃぱん、届いてるで~~」と言って家のなかまで配達する役を専ら担っておりました。そして、ばあちゃんが、「無理に見なくていいんやで」と言うのもそっちのけで、戦場の写真にも、ゴミの山で暮らすアジアの子どもたちの写真にも、環境破壊によって死んでいく動物たちの写真にも、じっと見入っておりました。もちろん、ときどき出てくる、愛くるしい動物たちの写真に一番反応して、彼女なりの「お気に入りのページ」をいくつももっていたようです。

 

「子どもには美しいものだけを見せて、希望だけを語って育ててあげて―――。」これは、児童文学を勉強していた、わたしの叔母が、娘を生んだわたしに、よく言ってくれたことばです。きっとそのとおりなんだと思う。叔母が薦めてくれた絵本たちは、みんなこのことばどおり、です。それはそれで、大切にしたいと思う。でも、それと同時に、いま世界中で起きている、あまりに不条理なことたちについても、やっぱり出会ってもらいたいと、だんだん思うようになりました。いますぐに、そのことが、なにか、かたちにならなくても、娘のこころのなかに、なにかの種を蒔くことができれば、と思う。その種を、どんなふうに育てていくかは、娘が考えて、決めていくことだと思っています。そして、かつて、わたしのおかんが、わたしに蒔いてくれた種、わたしのなかで、どんなふうにしていくのか、それもまた、わたしに懸かっているんだな、って思っています。

 

 

わぁ、長くなっちゃった。最後まで読んでくださったみなさま、ありがとう。

 

ゆうべの焼肉を頬張るわたしも、SHINeeにデレデレのわたしも、仕事でカッコつけてるわたしも、ごはんをつくるわたしも、娘とけんかするわたしも、この記事を書いているわたしも、みんな、「わたし」です。ときどき、こんなことも書いて、「重たい」と感じさせてしまうことがあるかもしれませんが、基本、「書きたいことを書いてみよう」と思っています。

 

さあ、連休(連休じゃない方、たくさんおられますよね? みんながお休みの時に働くしんどさ、以前は自分もそうでしたので、とっても共感し、感謝します)最終日ですね。わたしは、シーツを洗って、午後からは書類整理で「透明人間出勤」します。

 

静かな朝に、たくさんのことを想いながら…。