nonchiのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

久しぶり、尾崎。

こんにちは。なかなかに濃厚な月曜日でした。

たくさん、読んでくださる方がいらっしゃること、とてもありがたいなぁと思っています。ほんとに「ひとりごと」みたいに書いてみよう、自分の思ってること、頭のなかだけだと、どんどん消えてなくなるから、書き留めるような気分で始めてみよう、というのが私のブログスタートでした。

でも、始めてみて、まったく想定外の展開のなかで、「こんなこと聴いてもらいたい」「これを伝えたい」と思う気持ちも芽を出しはじめ・・・。「わたし」だけに向かって書いていたのが、「読んでくださる誰かさんに伝えたい」っていう思いがプラスされてきているこの頃です。 

 

今日は、これまたアラフィフのみなさま、きっと中高時代の大切な思い出の場面に、彼の曲があったよ、という方が少なからずいらっしゃるはず、と思っております。

 

尾崎豊(オザキ、です。当時は呼び捨てしてましたよね?私のまわりはみんなしてました。それが、カッコよかった。男子も女子も、です)。当時、レコード時代ですので、お小遣いためて、LPレコード、買いましたよ。で、何回も何回も、何回も・・・聴いた。聴いて、歌いまくって、泣いていました。

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彼は、シャウトする声はもちろんめっちゃカッコよかったけど、静かに穏やかに歌うときの声も、ものすごくカッコよかった。そして、めっちゃうまかった。

 

15歳の私は、この静かに穏やかな彼の歌い方が好きだった。でもその穏やかさのなかに、ものすごく渦巻く怒りや、悲しみや、やるせなさや、寂しさや・・・そういうものがあって(そう私が感じて)、けっしてHappyに静かで穏やかなわけじゃないんだぞって思いながら、「こんなふうに思ってる私の気持ちなんて、誰にもわからんやろ?!」と思いながら、相変わらず学校をサボって聴いていた。友だちと呼べるひとは、いなかった。周りからは、そう見えていなかったかもしれないけど。

 

そして、LPのなかで一番好きな曲が『僕が僕であるために』だった。

 

今日、なぜ「久しぶり、尾崎。」かというと、『僕が僕であるために』がそのまま、ある方が書かれたある日のブログのタイトルになってたから。それを読んで、うわ~~~っとこみあげるものがあったから。

 

なにしろ、生きづらかった。どこにいても、どこに行っても、結局、自分の「属する場所」はどこにもなくて、でも、明らかに「食べさせてもらってる」「生かしてもらってる」自分がいて、完全に世捨て人にはなれなくて、そういう中途半端な「何者にもなれない自分」を、誰にも打ち明けられないでいた時代、この歌詞は、ものすごい衝撃だったし、ものすごく救われた気持ちにもなったし、何回聴いたかわからない。「僕が僕であるために」「君が君であるために」勝ち続けなきゃならないんだって、その、勝ち続けるべき相手は、誰か、じゃなく、このわたしなのかもしれない、と教わった。

 

そのブログのご主人さまは、尾崎を知ってて、あのタイトルをつけたのか、それはわからないけど、でも、ほんとに何十年ぶりに、『僕が僕であるために』っていうことばが、私の前に思いがけず現れて、すごく懐かしくて、すごく切なくて、ちょっとだけ照れくさくて、こう言いたくなってしまった。

 

久しぶり、尾崎。

もし、いま、あなたがいたら、どんな歌をうたったんだろう・・・・。

 

 

僕が僕であるために

 

心すれちがう 悲しい生き様に ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと 生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば 人は皆傷ついてゆく


僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

 

別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど 人は皆わがままだ
慣れ合いの様に暮らしても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから


君が君であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

 

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

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いまでも、実家に帰ったら、LP押し入れのどこかにあるのかな。画像お借りしました。