のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

こころで見る、桜。

昨日の出勤の車で、突然、満開に近い桜の木が目に入った。もちろん、同じ道を通っていたから、すでに桜は咲いていたんだけど。

そういえば、ブログにもたくさん桜の話題はあったっけ(笑)。


わたしは、今年の桜はこころで見ています。

そんな年もあるもんだ。

相棒ちゃんが、わたしの好きな桜餅ってことで、昨日買っといてくれた。

ゆうべのお味噌汁をあっためなおして一緒にいただきます。これできっと今日も大丈夫。


リビングに、相棒ちゃんの教科書が届いていて、あ~、この人も同志になるのか~って、感慨深く眺めています。

さぁ、今日も、はじまる。

一瞬、ゆるっと。

はりつめて働いているので、お昼の一瞬は、努めて思いっきりゆるっとしています。

がんばりすぎず、でも、元気ではいたい。

おやつ食べて、さぁ、午後もがんばります。



あ、がんばらなくていいのか(笑)。

難しい(笑)。

でも、みなさま、ありがとうございます。

がんばってます。

書きたいことはたくさんあるのに、聞いてほしいこともたくさんあるのに、いまブログを書く時間とか、気持ちの余裕とかがなくて、でも、いろんなひとの記事をちょこちょこ読んで元気もらったりしてます。


職場でクラスターが起きて、毎日、必死に働いています。


いつか終わると思うけど、まだ、全然出口が見えません。


でも、がんばってます。


がんばります。

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(相棒ちゃんが、「おかあさん、これ見てがんばり」とプレゼントしてくれたドライフラワーです。)

ここだけは、譲れない。

夏の参議院選挙に向けた動きが、いろんなところで進んでいる(あるいは、遅々として進んでいない)。

 

「看護師の代表を国会へ」という動きもそのひとつ。

 

「このコロナ禍のなかで全国でがんばっている看護師がもっと報われるように、国会のなかで声を挙げていこう」という動き。

 

そのこと自体を全面否定はしない。

 

だけど、大事なのは、国会の「どこ」に身を置くのか、だと思う。

 

「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」をさえ保障できない政権与党に所属して、看護師の地位向上を訴えるなんて、それ、おかしくないだろうか。

 

この過酷なコロナ禍で、確かに、看護師は大変な状況で仕事をしてきたし、今もしている。だけど、「わたしたちばっかりしんどくて、わたしたちだけ報われていない」とはわたしは思っていない。

 

人が大切にされない、いまの政治のなかで、看護師だけが報われるはずがないし、看護師だけが報われたいとも、わたしは思わない。

 

それこそ、いま、看護師として発信しなきゃいけないのは、そこじゃないと思う。かといって、立派な発信ができているわけでもないのだけれど、だけど、それでも、ここだけは、譲れない。

 

政権与党に属して看護師の地位向上を目指すことに、わたしは、一人の看護師として賛同しない。

 

本当に、本当に、ここだけは、譲れない。

譲らない。

 

 

今週は、そんなこんなで悶々として始まって、火曜日の夜にご飯も食べずに早寝したわたしだったのだけど、水曜日の朝、テーブルの上に相棒ちゃんからポテトチップの差し入れが。そして、そこには応援メッセージまで添えてあった。

 

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親バカかもしれないけど、思ったのです。

 

 

あぁ、このひと、きっといいナースになるわ、ってね。

旅に出れない日々なれど。

久しぶりに台所で歌を録音しました。

 

「ぼくらが旅に出る理由」。

 

旅に出れない日々なれど、心はいろいろ旅してみたい。

 

音楽は、とても頼もしい味方。

 

ユルユルだけど、ちょっとズレてるけど、ま、いっか。

 

お聴きいただけたら、うれしいです。

 

 


ぼくらが旅に出る理由(ショートバージョン) - のんちの音楽室 | stand.fm

 

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最近すっかり夢中になっておりますダーニング。頑固一徹おかんが残しておいてくれた、わたしの保育園時代の「お昼寝毛布」がキャンバスです。このおはなしは、また今度ゆっくりと。

いま、シェアするものは、なにか。

報道される映像に、どんどん泣き顔や、憔悴した顔が増えていく。一方で、小さい子どもと一緒にロシアのなかで侵略に抗議して拘束されたお母さんや、戦車で進軍してくるロシア兵に向かって体を張って阻止しようとするウクライナの人びとの姿も映る。


それを、バイトから帰ってきた相棒ちゃんと見つめていた。


こんな状況のなかで、なにをシェアするべきか。


核兵器であるはずがない。


人間が大切にされるべきだという想いをこそ、シェアしたい。拡散したい。


核兵器をシェアして、そんなに強くなりたいか。


でも、残念ながら、それで強くなることは決してないと思う。安全なんて保障されるはずがない。


ほかでもない、広島と長崎に原子爆弾を投下して、いまだ謝罪しない国の核兵器をシェアするなんて。


もう、こんなに恥ずかしいことはない。



いま、シェアすべきは、この暴力を、はやく止めさせようという想い。


それ以外、ない。

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写真は、わたしの大好きな写真家の長倉洋海さんの写真集『いのる』のなかの一枚をお借りしました。