のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

疲れを吹き飛ばしてくれる、思いやり。

今週、またまたコロナのために相棒ちゃんの学校が休校になった。

ゆうべはさらに「休校期間延長」のメールが届き、不謹慎ながら、相棒ちゃんは大喜びだ。ありがたいことに進路は決まっているし、「いまのうちに稼いどくねん」とアルバイトに精を出している。体調は、すこぶるよろしいらしい。

 

一方わたしは、先週末、出張やら、おかんの知人の告別式への送迎やらで忙しくて、疲れをリセットするタイミングを逃して「出だし」が悪いうえに、昨日はPTA広報誌の入稿で原稿や写真の整理で眼精疲労&肩こり。

 

 

明らか、覇気がない(笑)。

 

19時半ごろ作業を終えて、学校近くのコインパーキングから「いまから帰ります。疲れましたわぁ~~~」のLINEを相棒ちゃんに送ろうと思ったら、

 

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迫力の韓国風甘辛チキンのお姿が届いていた。

 

そういえば、「今日の夕飯は〇〇にまかしとき」と言っていた。

 

 

で、「疲れたぁ~~~」のわたしのLINEへの返信は、

 

 

「お察しします」ですぜ。

 

 

ちょっと、頼もしすぎて、ありがたすぎて、笑えた。

 

 

*************

 

感情だけで書きたくはないのだけど、ちょっと前に、悔しいことがあって。

 

いま、看護師になるためのルートとして、「看護系大学」を選ぶひとが増えている。ちなみに、わたしは「専門学校」卒。そして、相棒ちゃんも4月から「専門学校」に通う。「お勉強の出来具合」でいくと、やっぱり看護系大学のほうが「上」。現場に出ていく看護師さんは、これからますます「大卒」が増えていくと思う。組織のリーダー的な看護師になろうと思ったら、「大卒」は必須条件になるだろう。

 

だけど、だ。

 

どのルートで看護師になったか、ということが、「物差しのすべて」では決してないと思う。

 

「専門卒でしょ」と斜め下を眺めるみたいな言い方をする看護師が、残念なことに、いる。しかも、組織のリーダークラスの看護師に、いる。そんな話を、とある場所で小耳に挟んで、すごく悔しい気持ちになった。

 

 

「だから? それが何か?」と思う。

 

 

もちろん、教育の内容は違うだろう。ものごとを深く考察する力をより鍛えるのは、大学のほうかもしれない。

 

 

だけど、だから、「専門卒は、だめ」なのか?

 

 

そこで「看護の質」は決まるのか?

 

 

 

先週の土曜日に会ったセンパイのおひとりが、その話題で悔しがるわたしにこう言ってくれた。

 

 

「看護は学歴でするんじゃないやろ? 看護は心、やろ」。

 

 

 

いやぁ、思い出しても泣ける。

 

そうだ。ほんとに、そうだ。

 

「なにを古臭い」とおっしゃる方もおられるかもしれないけど、わたしも「看護は心でするもんや」と思う。もちろん、それを伝える「ワザ」は持たねばならぬけど。

 

 

4月から看護の道に仲間入りする相棒ちゃん。通う学校は、彼女にぴったりの校風だとセンパイとして太鼓判を押したい。

 

 

そして、ヘロヘロになっているわたしに、おいしいチキンと労いのひとことを届けてくれる、その思いやりは、看護師に絶対必要なものだと思う。

 

 

自信をもって、誇りをもって、「専門卒」を目指してほしい。そして「もっと勉強したい」と思えば、どーぞどーぞ、その先にお進みくださいまし。

 

 

おかあさんも、「専門卒」のリーダーとして、まだまだ、これから、がんばるから、よろしく頼むよ、と言いたい。

 

 

疲れを吹き飛ばしてくれた、かわいい後輩の思いやりに、深謝!!

 

 

 

ここから3年をどうするか。

先週の土曜日、同じ立場で仕事をするナースの集まりがあって参加した。メンバーのなかでわたしは一番年下。リモートでの会議や、LINEではつながっていたけど、みんなで集まるのは本当に久しぶり。やっぱりセンパイってありがたい、そして仲間って心強いと再確認するひとときだった。

 

日々の仕事にはちゃんと向き合っているつもりだけれど、その先のことについて、少し迷っているところがあった。病院というフィールドから外へ踏み出していろんなことをしてみたいと、おぼろげながらあれこれイメージを膨らませてきた最近でもあった。

 

でも(という接続詞がしっくりこない気もするが)、やっぱり、外へ踏み出すにしても、わたしが何者で、何を考えて、何をしてきたのか、何がしたかったのか、を自分のなかでちゃんと整理して、納得して、そのことを土台にして踏み出さなきゃ、そして、そのプロセスこそ、しっかり伝えていかなきゃと、センパイたちと話していて、すごくそう思った。センパイたちは、「あんた、まだまだやれる。騙されたと思って(笑)挑戦したらええ」と、それぞれのことばで励ましてくれた。

 

「もう、そこまでやらんでもええんちゃうかな」と思っていた、ひとつの大きな挑戦を、ここからの3年でやってみることに決めた。

 

決めたからには、動き出す。

 

「わたし、こうしたいです」ということを、今日のうちにボスに宣言するつもり。

 

そして、秋あたりの最初の関門に向けて、始動する。

 

 

 

わたしを動かしていくのは、

 

 

 

 

わたし自身だ。

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守られるべきは誰なのか。

沖縄の新型コロナ感染者が1000人に迫る勢い。



ワクチン接種率が他の都道府県より低いことが影響、とかいうコメントをちらほら目に耳にする。



ちょっと待って。


もっと直接的な原因、はっきりしてるやん。


どうしてそこを避けて報道するのだろう。


思いやられるべきは、誰なのか。


守られるべきは、誰なのか。






米軍であっていいはずなんて、ない。


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「自分の部屋はなくてもいいねん」。

年末は、普段の掃除にちょっと毛が生えたぐらいのことしかできないでいたのだけど、年が明けてから、にわかに「片付けられない母娘」を何とかせねば、という「スイッチ」が入った。

 

で、片付けが苦手な相棒ちゃんの、ウルトラCな結論。

 

「おかあさん、〇〇は自分の部屋はなくてもいいねん。どうせちゃんと片付けられへんし、そもそも、ひとりになりたいともまったく思ってないから」。

 

 

う~~~ん、この発想、この結論、歓迎すべきか否か。

 

 

思案しているわたしをよそに、相棒ちゃんは作業に着手して、「部屋割り」の提案までしてきた。

 

 

「おかあさん、〇〇はリビング(というか食堂)で勉強します。おかあさんは、自分の部屋で手芸とか音楽とかを楽しんで。そしてもう1つの部屋にベッドを2つ並べて置いて寝室にしよう」とのこと。

 

 

食堂を相棒ちゃんの勉強スペースにされるのは、ちょっと気が進まなかった。なぜなら、きっとノートやらテキストやら、いろんなものが「常設」されるのが目に見えるから。ごはんを食べるところは、できるだけすっきりしといてもらいたい。

 

 

でも一方で納得もした。「たしかに、ひとりで黙々と勉強するとか、きっと無理だわね」と。

 

 

だから、「使ったらちゃんと片付ける」なんていう、当たり前すぎるルールを再度確認して「食堂で勉強」を受け容れることにした。

 

 

で、「おかあさんは自分の部屋でたのしんで」という提案(起きてる時間を過ごす場所に限定するというプラン)も、意外と思いついていなかったけど、「確かに、そうかも」とストンときた。アップライトピアノがあって、大型の本棚が2つあって、テーブルがあって、手芸道具を収納して、自分の衣類も収納して、おまけにベッドまであったわたしの部屋は、言われてみれば「詰め込みすぎ」だった。

 

 

わたしの衣類は一部を残して、食堂のテレビ台がわりにしている祖母から譲り受けた箪笥に移動させて、相棒ちゃんの衣類は「おかあさんのコワい目があれば片付けられる」との理屈から、新たに寝室になった部屋のクローゼットへ引っ越した。

 

 

もうひとつ、相棒ちゃんの企みは、「ベッドに座りながら、壁をスクリーンみたいにしてプロジェクターで韓国ドラマを観る」ことだったようで、寝室のベッドはそのように配置した。

 

 

まだ、個別の細かい片付けは残っている(きっといまごろ、相棒ちゃんはスローペースで片付けを続けている、はず)けど、大枠はおさまるところにおさまった。

 

 

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もともとは、頑固一徹おかんの寝室だった「うちで一番陽当たりのいい部屋」。たしかに、寝るには心地いいわな。おかんが泊まりにきたときも、ここにお布団をもう1つ敷けばいいのだし。

 

 

早速、大画面で韓国ドラマも観ちゃった。

 

 

これは、かなり素晴らしい。相棒ちゃん、ナイス。

 

 

 

でも、一抹の心配というか、何というか。

もう18歳なのに、おかあさんと一緒の部屋で、プライベートな空間がなくてもいいのかしら。わたしは欲しかったけどなぁ・・・。

 

 

それに、いつかは自分で暮らしを営んでいかないといけないのに、こんなかんじでいいのだろうか、とも。

 

 

 

 

 

う~~ん、でも、とりあえず、これでやってみよう。

 

 

正解なんて、やってみなくちゃわからない。よそのおうちの正解が、我が家の正解とも限らない。

 

 

 

・・・と、こんなかんじで一年を滑り出した、のんちファミリーであります。

どうなりますことやら(笑)。

ひとり新年会。

いやぁ~、明日から普通にお仕事(笑)。
お正月っぽさを感じる暇もない。


相棒ちゃんも元旦からバイト。今日もバイト。


というわけで、ひとり新年会。


おせちの残りと、友だち便の絶品あんころ餅で楽しもう。


で、お昼からは、お掃除おばちゃんだ。


でも、こんなお正月も、悪くないな。


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滑り込みの新年ごあいさつ

今日は、お墓参りに、おかん宅での「新年食事会」、新年早々の部屋の掃除と、ドタバタだった。


なんとか滑り込みで新年のごあいさつ。


今年もみなさんとのつながりを大切にしたい。


一緒に笑ったり、怒ったり、泣いたり。


心豊かに暮らしていきたいです。


どうぞよろしくお願いいたします。

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きみたちがいて、ぼくがいる(笑)。

昔むかし、土曜日の昼下がりのテレビは「吉本新喜劇」と決まっていた(笑)。だけど、それも頑固一徹おかんが「半ドン」で仕事から帰ってくるまでの間だけ。何年生のときだったか、土曜日が終業式で、ちょっと下がった成績表を持って帰って、鬼のいぬ間に、と「吉本」を観ながらバカ笑いしていて、おかんが帰ってきたことに気付かず、「あんた、成績下がったのに、なにを呑気にテレビ観て笑ってんねん!!」とぶっ飛ばされた(これ、ほんとに、ぶっ飛ばされた。頬っぺたを何回もひっぱたかれて、大変だった。今だったら、あれ、ちょっと通報モノかもしれない)。

 

そんなことをなんで思い出したかというと、昨日の相棒ちゃんの「ばあちゃんちお掃除助っ人」があまりにお見事で、そして、そのあとの「手巻き寿司大会」があまりに和やかで、思わず「きみたちがいて、ぼくがいる」(チャーリー浜さんの名言ね)が浮かんできたから。チャーリー浜さん➡吉本新喜劇➡いつかの土曜日の惨劇、となったわけ。

 

それほどに、相棒ちゃんは大活躍だった。

 

ばあちゃんの台所は、ピッカピカ。(実際には、このあと、さらに磨きがかかっていた)

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手巻き寿司は、お米ぴっかぴか。

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「明日も仕事やから早く帰りや」とか言いながら、ばあちゃんはご機嫌さんで饒舌で、なかなか帰るタイミングがつかめなかった(笑)。

 

 

帰りの車で相棒ちゃんにしっかりお礼を申し上げた。相棒ちゃんは「まあな、わたしは年に何回かだけやけど、おかあさんがいつもがんばっておばあちゃんのことちゃんとしてくれるから、何とかなってる。おかあさんもご苦労さん」と、おとなみたいな返答をしていた。ほんと、なかなか、なひとだ。

 

 

今日は年内最後の仕事。いつも通り通勤途中でばあちゃんと待ち合わせたけど、いつもと違うのは、ばあちゃんがお弁当を持たせてくれたこと。

 

「今日のお弁当はちょっとウマいで」とにんまりしながら手渡してくれた。

 

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即席のお味噌汁といっしょにいただきました。

 

ほんと、ウマかった。

 

 

 

 

なんやかんや、日々はケンカしたり、ムスっとし合ったり、「この先どうしていけばいいんやろ」と考えてしまったり、そりゃ、いろいろあるんだけど、

 

 

 

やっぱり、つまりは、そうなんだわ。

 

 

きみたちがいて、ぼくがいる。

 

 

 

 

どうもおーきに。おかんと相棒ちゃん。