のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

豊かに流れる、秋の午後。

こんにちは。

とっても気持ちのいい、おだやかな秋の午後です。

 

ものすごく久しぶりに、庭のハナミズキとキンモクセイのメンテナンスをしてもらうことになり、京都から庭師さんに来ていただいて、朝からお世話になっています。9時前に始まって、お昼休憩を挟んで、丁寧に丁寧に、枝をみながら、葉っぱを触りながら、お仕事をしてくださっています。その様子を、カーテン越しに眺めながら、「ありがとうございました」のお茶の準備を整えて、このブログを書いています。

 

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あらためて思います。どんな仕事も、心を込めて、その仕事を慈しんで向き合っていると、そばで見ている者にも伝わってくるんだなぁ・・・。ひとつひとつの所作に無駄がなく、丁寧だけど間延びはしていなくて、なんというか、ほんとに美しいです。あぁ、わたしもこんなふうに働きたいものだと、静かに感動しています。

 

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この週末のわたしは・・・

 

昨日は、裏庭(といっても、なにも植えていなくて、雑草だけがスクスクと育っていたスペース)の草ひきと、整理整頓をしました。少し前に、やる気満々で臨んだ途端、蜂に刺されるというアクシデントが起きて、そのままになっておりました。屋根はないのだけど、物干し台があるので、今日みたいな快晴の日には、2階のベランダと、この裏庭で、山のような洗濯物を干すことができるので、わたしにとっては大事な大事な空間だっただけに、雑草が生い茂っていることが、ものすごくストレスになっていました。小雨が降る早朝、でも、土が緩んでいて草ひきにはもってこいの「お日柄」。ヤモリさんをはじめ、ちょっとした珍客はいらっしゃいましたが(笑)、すっきり、気持ちのいい更地になりました。

 

夕方はちょっとお出かけをして、コメダ珈琲でケーキセットをいただきました。相棒ちゃんはモンブランクリームがのったシノワールを頼んで、ペロッとたいらげておりました。3時のおやつのタイミングだったのですが、結構お腹にこたえて、「晩ご飯、いらんなぁ(笑)」ってことになって。でも、最終的には夜ちょっと遅めに、ラーメンを1人前作って、半分こしました。

 

今朝は、注文していて、やっと届いた自転車に乗りました。約10km、アップダウンのきついコースを走ってみました。途中、紅葉がきれいでした~~。

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帰ってから、ゆっくり手間をかけて朝ごはんを作りました。おもしろい調味料を見つけたので、それを使ったサラダを。

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パンの上には、目玉焼きの仕上げにとろけるチーズをカリッカリに焼いたのをのせました。

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早朝のプチサイクリング、そのあとの一日にも、ものすごく効果がある気がします。なんとも豊かな気持ちになるのですよ。「あぁ、日曜日って、こんなかんじ」。

 

さぁ、庭師さんのお仕事が終わったら、近くでジャズフェスをやってるので、ちょっくら出かけてこようと思います。

 

やっぱりね、今年は、知らず知らずのうちに、心がぎゅっと萎縮する日々を重ねてきたと思うんですよ。だから、「音楽の温泉」に浸かって、ほぐしてあげたいと思っています。

 

みなさんも、やさしい時間を送ってくれてたらいいな・・・・・。

「生活者」としての勘を、大切にする。

こんにちは。

 

アメリカ大統領選挙、最終的にどうなるのでしょうね。残念な意味で「20時すぎ」に結果が出てしまう選挙をたくさん見てきたので、こんなに緊迫した開票速報、ある意味「すごいなぁ」と思います。

 

でも、直前に行われた、身近な「住民投票」の結果の余韻のほうが、わたしのなかには、まだまだ色濃く残っています。

 

いわゆる「大阪都構想」の是非を再び問う、大阪市民(この「括り」から外れるひとたちがたくさんいることを、今回、あらためて深く考えさせられていますが)を対象にした「住民投票」。

 

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投票日当日、わたしは正直なところ、結果をみるのが怖いなぁと思っていました。だからテレビもネットも見ずに布団に入ろうと思っていました。

 

そんなわたしに結果を速報してくれたのは、なんと、17歳の相棒ちゃんでした。

 

ちょうどその日、友だちとの約束があって「外泊」していた相棒ちゃんが、LINEで知らせてくれたのです。

 

「おかあさん、『反対』が勝ったで!!」

 

そして、続けてこう送ってきました。

 

「いいほうに裏切られた」

 

まさに、そんな感じ。

 

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わたしは、このブログで、政治的なことも、歴史認識についても、日韓関係についても、時々ではあるけれど、そして言葉を丁寧に熟考しながらではあるけれど、思うところを書いてきました。

 

でも、今回の「住民投票」をめぐっては、結局、一度も書かずに終わりました。それがなぜなのかなぁと、ずっと考えているのですが、ひとつ思っていることがあります。

 

「都構想」を推進する人たちの主張は、聞けば聞くほど、強引な感じがしたのですよね。「今のままではあかんやろ? だから変えていかなあかんねん。絶対うまいこといくから、つべこべ言わんとついてこい」みたいなかんじ。中身がどうかということ以前に、その「空気」にものすごく違和感を感じていました。それなのに、なんとなく、そのことを発信しにくかったのは、「反対するんやったら、何がどう反対なのか、ちゃんと具体的に言うてみろ」という圧迫を感じたのです。もちろん、誰かに何かを言われたわけではないのだけど、なんとなく、そんなふうに自分で勝手に委縮してしまった。

 

だけど、結果を受けて、思っています。

 

わたしは、この「萎縮」から、わたし自身を解き放たないと、あかん。それが、政治に参画するということなんだろうな、と。

 

わたしは、今回の「都構想」について、やっぱり「生活者」として、最初からずっと違和感があります。もちろんいまも賛同できません。その理由を、理路整然と説明できなくても、でも、「暮らし」が大切にされない感じ、地方自治にまで「利益」や「効率」や「勝ち負け」がはびこる空気、そのことに違和感とNOを感じる「生活者」の勘を、大切にしたいと思います。

 

ただしていかなければならないこと、いっぱいあると思う。「今のままではいけない」というのも、わかる。だけど、それは、やっぱり面倒でも、時間がかかっても、もっと丁寧に、もっと「生活者」に近いところで、議論し、試行し、修正していくべきものなんじゃないかと思う。

 

そのことを、わたし自身が、もっと「自分の言葉」で、伸び伸びと発信していきたい。そうできなかったことが、今回の、わたしの最大の反省。

 

この「後味」は、自分のなかでちゃんと噛みしめたいと思っています。そう思っている自分を、このブログでは、ちゃんと書いておこうと思いました。

 

がんばれ、わたし。

 

ちっちゃい勇気を、自分の言葉で、これからも。

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今年「初おでん」の人気。

こんにちは。

 

いいお天気。お散歩日和。

 

そして、わたしは、今日もお仕事(笑)。

 

「のんち食堂」記事がちょっと滞っておりますが、わたしの台所も、わたし自身も、変わらず元気です。

 

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月曜日、仕事のお昼休み、ふと「おでんは、仕事から帰ってから作っても『きょうのおかず』になるのだろうか」と思いました。

 

スマホでぽちぽちと検索したら、具の種類によってNGなのはあるけれど、圧力鍋と普通のお鍋の同時進行で、『きょうのおかず』にできそうだとわかりまして、仕事の帰りに「練り物」や大根などなど買い込んで、今年「初おでん」に挑戦してみました。

 

ちなみに、ご存知かもしれないけど・・・

圧力鍋NGの具材は

①練り物=圧力をかけると膨張して、ふきこぼれたり、圧力弁を塞いでしまってキケンだそうです

②厚揚げ=「す」がはいってしまうそうです 

 

我が家のおでんの具の人気は

①大根(不動の断トツ)

②こんにゃく(相棒ちゃんはシブくこんにゃくが一押し)

③餅きんちゃく(わたしが大好きなお品)

④ゆで卵(もそもそするけど、でも、やっぱり好き)

⑤練り物(そのとき、セールしてるお品を買うので、まれにハズレもあります)

 

それと、今回は「すじ肉」は入れませんでした。時間がタイトだったのと、あっさり味に仕上げたかったので。

 

しっかり下茹でしたのは大根。竹串がスッと入るぐらいまで茹でました。あとはこんにゃくも切り目を入れて熱湯で1分ちょっと下茹でして味がしみ込みやすくしました。それと、帰宅してすぐに昆布を水に浸けて、そのままおでんの具材にしました。

 

大根を寸胴で下茹でしながら、おっきな土鍋にたっぷりのおでんのおつゆを作って、練り物、ゆで卵を先に煮込み始めます。大根が茹であがったら、圧力鍋に大根、ゆで卵、こんにゃくを投入。圧力がかかって3分たったら火を止めて、圧力が抜けたところですべての具材を土鍋に集めます。

 

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写真の土鍋の底のほうに練り物が集中(笑)。

帰宅してからテーブルにつくまで、1時間はかかってないと思います。思ったよりも、ずっと「しみしみ」なおでんが、疲れたからだにしみわたる~~~。

 

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あれよあれよという間に、売れに売れて、笑ってしまいました。

 

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翌日(つまり11月3日、祭日)は、朝から頑固一徹おかんのところに「お手伝い」&「コミュニケーションタイム」に出かけて、「2日目のおでん」でお昼ごはん。

 

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おでんの写真ばっかりで恐縮ですが(笑)、練り物からもいい味がしみ出して、さらにおいしくなってました。

 

カレーと同様、おでんも「2日連続大歓迎」の我が家なので、ゆうべは夕飯もおでん。相棒ちゃんから「おかあさん、〇〇は初日、1個もいただいてないから、今日は独占させてもらいます!!」と宣言され、わたしの大好物の「二日目の餅きんちゃく」にはありつけませんでしたが、そのほかの具も、とてもおいしかったです。

 

土鍋をつかった料理というのは、なんでしょうね、家族をぎゅっとつなげてくれる。これからどんどん「あったか料理」が恋しくなる季節。普通の日の、普通の夜でもおでんが「その日の夕飯」になるという、ちょっとうれしい誤算。

 

晩ごはんのレパートリーに加えて、もりもり楽しもうと思います。

 

あ、昨日は「おかん孝行」しましたよ。家の近くのスーパーへ、散歩がてらおかんと二人で歩きました。途中、おいしいパン屋さんを見つけたり、色づいた葉っぱを見上げたり、「あ~、いつも、こんなふうに平和ならいいのになぁ(笑)」って思いながら歩きました。

 

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あの日々の「独り言」を愛おしむ。(長文御免)

こんにちは。

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』。

 

観終わった余韻が、眼の奥、頭の奥で、ちょうど「お鈴」の音が長く微かに響くみたいに、続いています。「心地よい」と書きかけて、ちょっと違うと感じて消しました。「心地よい」ほどの穏やかさはないけど、でも、「不快」ではもちろんなくて、ずっと心のなかを、感情と記憶とがマーブル模様になって漂っている感じです。

 

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映画の原作は、2016年に韓国で刊行されると同時に多くの女性たちの共感を呼んで大ベストセラーになりました。その後、アジアのみでなく、イギリスやイタリア、スペインなど20を超える国や地域で翻訳され、日本でも2018年の冬、発売わずか2日目にして重版が決まるほどの注目度。わたしの印象だけど、本屋さんに韓国の作家さんの本が普通に並ぶようになるきっかけのひとつだったと思います。

 

でも実はわたしは原作を読んでいません。あまのじゃくなのかな、「ものすごい人気」と言われると、なんとなく、そのブームに乗れない自分がいました。

 

 

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ここから先は、映画の中身をご紹介するというよりは、もっぱら、わたしの気持ちと記憶について書きたいと思います。

 

わたしは今年17歳になった相棒ちゃん(ひとり娘)を大阪から遠く離れた関東で出産しました。自分の意思で相手を選んで、自分の意思で法律婚をして、夫の姓を名乗り、相棒ちゃんを妊娠してからはつわりがものすごくひどかったこともあって、当時していた仕事(この時期だけ、看護師ではない仕事をしていました)を辞めて、いわゆる「専業主婦」をしました。お金に困ることもなく、義理の父母、祖父母にもとても大事にしてもらい、周囲から見たら「なんの不足があるの」といわれる暮らしをしていました。相棒ちゃんを出産して、病院を退院してしばらくは夫の実家にお世話になり、「上げ膳据え膳」だけでなく、本当にお嬢様のような生活をさせてもらいました。相棒ちゃんは、大きな病気をすることもなく、すくすくと育ってくれました。

 

でも、わたしのなかでは、「この暮らしは長くは続かない。続けられない」という気持ちが少しずつ膨らんでいく毎日でした。何から何まで、価値観をすりあわせて夫婦になったのではなかった、もっというと、一番大事なことには触れずに進んできたことが、じわじわと染みがひろがるように、自分の心のなかに影をおとすようになりました。

 

「一番大事なこと」とは、「わたしが、わたしであること。わたしがわたしの『主人』であること」だったのだけれど、毎日のなんでもない暮らしのなかで、それがどんどん浸食されていくのを感じました。もちろん、見た目にはわからない。むしろ「幸せ家族」に映っていただろうと思います。だからこそ、誰にも相談できませんでした。ほんとなら自分の母親に相談するところかもしれないけど、うちの場合は、なんたって「頑固一徹おかん」ですから、そんな相談しようものなら、「即日行動」しか道がなくなってしまう。そうなると、逃げたかったおかんのところに、おかんの価値観に、また近づかなくてはならなくなる。それがとてもいやだったのです。

 

最終的に、わたしを決断させたのは夫の暴力でした。肉体的暴力を受けたのは最後の最後だったけど、思い返せば、夫のことばや態度によってわたしの精神や思考が委縮していくプロセスのほうがダメージが大きかったように思います。

 

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映画のなかで、主人公のジヨンに起きる、ある「症状」。

 

そのシーンを観たとき、わたしのなかで、蘇るものがありました。

 

わたしは、相棒ちゃんとふたりのとき、あるいは滅多になかったけど「ひとり」になれたとき、ものすごく「独り言」を言っていました。自分の心のなかのつぶやきを言葉にして発したり、この暮らしを終わりにするためのシミュレーション、「これをこうして、次にこうして、いやいや、それじゃうまくいかないから、こうやってみようか」みたいなことをブツブツ呟いていたのです。でも、考えれば考えるほど、行き止まり。そして、いつも最後に辿り着く結論は、「悪いのはわたしなんだろうな」ということでした。「このまま、自分が考え方を変えて、自分のなかで折り合いをつければ、続けていけるのじゃないか」と思えてきて、最後は、考えるのをやめて、「独り言」もやめる、という繰り返しをしていたのでした。

 

「あぁ、そうだったな。そんな日々だったな」と想い出しました。

 

ジヨンがぼんやり座り込んでいた洗濯機のそばのあの景色。

 

わたしも、ちょうど同じような場所に、「体育座り」をして「独り言」を言っていた。

 

自分の『主人』が自分でない日々。幸せな「妻」だったり「お母さん」であることが、自分をどんどん追い詰めていった日々。

 

その日々の先に、いまのわたしがいます。

 

いま、あらためて、あの日々の「独り言」を、とても愛おしく思っています。できれば、その「独り言」を、そのとき夫に向き合ってちゃんと伝えればよかったのかもしれない。その努力をほとんどしないままに、一方的に、着々と遠い存在になっていったわたしのことを、夫が理解できず、あんなふうな言動に出たのは、わたしにも大きく責任があったと、いまになって思います。だけど、そうだとしても、わたしは、いまのわたしを認めてあげたい。むしろ、そうだからこそ、いまのわたしは、わたしの『主人』でいなければ、と思っています。

 

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それから、この映画では、3世代の女性が登場します。ジヨンと、ジヨンのオモニ(おかあさん)とハルモニ(おばあさん)です。その時代の社会のなかで、それぞれの「痛み」を抱えて生きてきた女性たち。わたしにとっての3世代を考えてみたとき、明治生まれで貧困ゆえにほとんど学校に行けなかった祖母、「女であることを理由に虐げられてたまるか」とメラメラと闘争心に燃えて行動してきた母(頑固一徹おかん)、そしてわたし。この3人のことも、じっくり見つめてみたいという思いが膨らみました。

 

また、いつか、書いてみようかなと思っています。

 

長文御免。予告通りになりました。

きわめて個人的なことだけど、でも、その「個人的なこと」のなかに、やっぱり、「わたしが女性であること」が絡んでいると思う。そのことを、「わたし」が書くことに、意味があるのだと、そんなふうに思います。

 

 

読んでくださった皆さんに、感謝の気持ちをお伝えします。

ありがとうございました。

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目にも、心にも、栄養を。

こんにちは。

ゆうべの映画は、深く深く心に残りました。

ちょうど、相棒ちゃんが生まれてから、大阪に引っ越してくるまでの時間のなかでさ迷っていた自分と重なって、胸が詰まるシーンもたくさん。そして、あのときわからなかったこと、わからなかった気持ちについて、「あぁ、そういうことだったのかもしれないな」って思えた瞬間が、いくつかありました。

映画のことは。あらためて、じっくり書こうと思う。




今日は、行きたかった写真展を、ギリギリ滑り込みセーフでみにきました。

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栄養たっぷりの「サンドイッチのある風景」。

ブログをとおして出会った、大好きな写真家さんの個展。



ふんわりとしたやさしさと、しっかりした輪郭ある写真たち。


撮る彼女と、一緒につくるひとびととのあたたかいつながり、信頼が、写真から溢れ出ていました。



目にも、心にも、たっぷり栄養をもらって、わたしという樹の枝葉が、ちょっとだけ伸びた気がする午後3時。


さぁ、もうひと歩きして、おうちに帰ろう。

「奈良のカフェのクッキーみたいや」。

こんにちは。

 

朝晩の冷え込みと、お昼間のあったかさ(暑さ)のギャップがしんどいここ数日です。おうちにいたら、洗濯物をベランダいっぱいに干したいなぁ~~と思う。恨めしい気分で、ちっちゃい職場のなかを歩き回っております。

 

少し前に、職場の「ねえさん」からいただいた能勢のちっちゃい栗たち。茹で栗にして、包丁で半分に割って、ティースプーンで中身をすくいとって、「栗のミルク煮」にしておりました。(写真は田舎のおばあちゃんの手じゃないですよぉ、あたし、あたしの手よ~~~。なんと逞しい。我ながら「誰の手?」と思いたくなる年季モノ)

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こんなふうに苦労して作ったものだから、いろいろ楽しみたくて、ゆうべは「栗のさくさくクッキー」を作りました。

 

レシピというほどでない、レシピ(笑)

 

(材料)

栗のミルク煮 100g

 薄力粉 200g

バター 120g

きび砂糖 80g

 

(作り方)

①バターを白くなるまで泡立て器で混ぜる

②そこに3回に分けてきび砂糖を入れてさらに混ぜる

③小麦粉を3回に分けて入れる。最初は木べらで切るようにして混ぜる。途中からは直接手で混ぜるというより、まとめるかんじで。

④まとまったら、1辺が5㎝ぐらいの四角い棒状に成形する

⑤ラップで包んで、冷凍庫で1時間ぐらい冷やす

⑥オーブンを180℃に予熱

⑦冷凍庫から生地を取り出して5㎜ぐらいの厚さに切って天板に並べる

⑧180℃で20分前後焼く(途中、焼き加減を見ながら)

 

材料、作り方とも、この上なくシンプル。そして完成したのが、こちら。

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ちょっとかわいくお皿に盛って、ミルクティと一緒に英単語を覚えている相棒ちゃんに出してあげました。

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「おかあさ~ん、ウマい。なんかさぁ、奈良のカフェのクッキーみたいや。イケてるやん。・・・・あと何枚か、追加してくれる?」だとさ(笑)。

 

確かに、おいしい。

 

サクサクのなかにも、ほわっと栗とバターの香りがたちこめてきて、コクがあるのに、しつこくない。つまり、おいしい。

 

だってねぇ、手間かかってるもん。

 

栗をくりぬいてるときは、ちょっと大変だったもん。

 

だから、おいしいに決まってるんですわ。

 

満足満足。心も豊かになりました。

 

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今日は、とても久しぶりに、仕事帰りにレイトショーで映画を。

 

映画までの数時間、ちょっと楽しみです。

 

書きたかったお手紙のために、便せんも持ってきたしね。

 

大事に過ごしたいです。

 

 

 

それまで、午後のひとふんばり。

 

がんばろっと。